自分事としてとらえること。


ものすごく大事。


なぜなら、どれほど自分事としてとらえるかによって、それに懸ける想いが変わってくるから。


当然のように、懸ける想いが強ければ強いほど事態は好転していきやすい。


一方、懸ける想いが弱ければ弱いほど、事態は進展していかない。


むしろ、衰退していくもの。


想いが強いか弱いかは、結果はもちろんすべてのことに影響してくる。


だから、すごく重要。


できることなら、何をするにしても想いを強くして取り組みなよ。


そのためにも、自分がやることを、目の前にあることを自分事としてとらえるんやで。


他人事のようにとらえていると、集中力は散漫になり、中途半端なことしかできなくなるから。


しかも、他者に与える自分の印象が悪くなってしまう。


なんせ、自分の想いや考えの真意が相手に伝わらなくなるから。


自分のことなのに他人事のようにとらえていると、高い確率で信頼性を失う。


そして、大切なことを任せてもらえなくなる。


責任感が欠けているととらえられることも…


そもそも、自分の人生は、自分しか生きることができないため、自分の人生におけるすべてのことは自分事。


誰かに任せるのではなく、誰かに頼るのではなく、自分でやる意思を持つこと。


じゃなきゃ、後になって痛い目に遭う。


だって、人生では、他人事としてとらえていては済まないことがいくつもあるから。


受験だったり、就活だったり、結婚だったり。


自分のこととして受け入れ、自分がやるっきゃない。


自分がやることを他人事のようにとらえていると、高い確率で上手くいかなくなるもの。


よっぽど卓越した能力が備わっていなければ…


ひょっとすると、自分の人生を自分事としてとらえるのは当たり前なのかもしれない。


だが、実際に自分事としてとらえている人は少ないのではないか。


なぜなら、たくさんの人が、自分の人生で妥協し、多くのことを諦めているから。


自分の力を疑い、信じることを止めているから。


自分事ととらえて生きることに疲れたのか、他人事のようにとらえて生きてしまう。


こうやって生きた方が楽なんよね。


深く考える必要もなく、何か大きな問題が起きるのではなく、流されるように生きることができるから。


でも、自分事としてとらえるとそうはいかない。


人生を自分事としてとらえると、不思議と、次から次へと乗り越えるべき壁が出現する。


そして、壁を乗り越えるためには、心の殻を破る必要もあり、膨大な時間を要する。


まちがいなく成長できる道なのではあるが、多くの人に敬遠される。


なんたって、楽な道ではないから。


人は、楽な道と獣道があれば、大概、楽な道を選ぶ。


何も意識しなければ、楽な道を選び、安全を確保する。


おそらく、一種の防衛本能が働いているのだろう。


ただ、楽な道というのは、多くの人が選ぶ道であるため、どうしても競争が多くなってしまう。


しかも、楽な道で得られるものというのは、高が知れている。


上手いことバランスがとれているものなんよね。


楽な道ではある程度の安全はあるが、感動が伴わない。


獣道では、危険性はあるが、大きな感動を味わったりと、得るものが大きい。


よくよく考えてみると、当たり前なのかもしれない。


だって、喜びというのは、喜びを得る前にどれだけのことをしてきたかで変わってくるから。


大したことをしていなければ喜びは小さく、悩み苦しんできたのなら喜びはとんでもなく大きくなる。


ゆえに、人生を自分事ととらえて生きるのか、他人事ととらえて生きるのかでも得られる喜びは変わってくる。


けど、最初から、自分の人生を他人事としてとらえて生きる人はいないもの。


様々なことを経験していくことで、自分事としてとらえて生きることに怖れるようになっただけ。


自分と向き合うことを回避するようになっただけ。


いわば、自分を守るための手段の一つとして、他人事のようにとらえてしまう。


自分のことを他人事のようにとらえると、何かあったとしてもダメージを軽減することができるんよね。


傷を負うことを怖れている人にとっては、利点となる。


だが、他人事としてとらえるのは、初めから、ダメージを受けることありきなんよね。


ダメージを受けていないにもかかわらず、ダメージを受けた時のことを考えている。


予防といえば聞こえは良いが、これによって多くのことを失っている。


なぜなら、ダメージを受けることに意識が奪われ、守ることしか意識できなくなっているから。


確かに、守ることは大事だが、守るだけでは、事態は何も変わっていかない。


人生においては、攻めることも重要。


守る意識を和らげ、その分攻める意識へとシフトする。


こうして、攻めと守りのバランスを整えること。


すごく大事。


人生を自分事としてとらえるか、他人事としてとらえるかは、自分の攻めと守りのバランスを表しているものでもあるんよね。


人生は、勝ち負けではないから、守りだけではどうにもならない。


どうしても、攻めが必要となる。


だから、自分の人生を自分事としてとらえて、攻めていくんやで。


攻めることができる人の方が、人生を好転させていくものなんやから。


案外、そうなっている。



サコヤンの独り言

「自分の人生を自分事としてとらえて精一杯生きよう」