自分の感覚を当てにし過ぎないこと。
ものすごく大事。
なんせ、自分の感覚って、自分が思う以上に当てにならないから。
こだわればこだわるほど、かえって、自分自身が苦しくなる。
何をするにしてもこうでなければならない、ということはない。
今、自分が思っていること、考えることに固執することはない。
なぜなら、自分の感覚がまちがっている場合も多いから。
まちがっているのに固執してしまうと、あさっての方向に進んでしまう。
人は誰しも完璧ではない。
自分自身の考えなんて高が知れている。
でも、自分は自分として生き、自分以外の考えを知らないから、自分の考えが正しいと思い込む。
また、自分自身をまちがいと思いたくないから、自分の考えが正しいと思い込む。
自分は正しい、という考えありきなんよね。
ゆえに、自分の誤りを認めることって、意外と難しい。
誰もができているわけではない。
けど、ものすごく大事なこと。
だって、できるかどうかで人生は大きく変わるから。
自分の誤りを認めることができる人は、他者の素晴らしい点を認めることができ、それを自分に受け入れることができる。
自分の感覚に固執しておらず、柔軟性に長けている。
だからこそ、自分を変えることができ、次から次へと成長していく。
中には、周りがビックリするほど成長する人もいる。
そもそも、世の中には、数十億の人が存在している。
そして、自分はその中の一人に過ぎない。
よっぽどの天才でなければ、抜きん出た感覚や考えなんて持てるものではない。
自分の感覚や考えなんて高が知れている。
自分の感覚や考えが絶対的なものである、という可能性の方が低い。
そのため、どうしても譲れないもの以外は固執する必要はない。
自分の感覚や考えが誤っているなら、より優れたものがあるなら、遠慮なく手放せば良い。
手放して修正した方が自分のためになる。
何も、今がMAXではないんやから。
様々なことに気づきながら、学びながら少しずつより良くなれば良い。
人は、どこまでも成長し続けることができるんやで。
ただ、成長し続けるには、その都度その都度、何かを手放す必要がある。
次のステージに行くには必要ないものを手放す必要がある。
なんたって、手放さなければ次のステージには行けないようになっているから。
多くの人は、手放すことができないから次のステージに進むことができていないんよね。
人は、今までの考え方や感覚、習慣といったものに安心する傾向がある。
今までのやりかたで生きた実績があるから、余計に安心する節がある。
よって、手放した方が良いと分かっていても、手放さなかったりする。
無意識の内に、今までの自分に固執してしまっていて…
だから、手放すことができない。
手放すことができないから、新たなものをつかめない。
手放すことができずに、新たなものをつかめないから、現状を維持するようになってしまう。
残念ながら、たくさんの人が陥ること。
しかも、歳を重ねるごとにこの傾向は強い。
今までと同じように生きることで、心が固まり、変化を嫌う。
変化を嫌うから、同じようなことを続けてしまう。
同じようなことを続けるから、変化の幅が小さい。
こうした状態のまま、多くの時が流れている人は山ほどいる。
すごくもったいない。
なんせ、今の自分に固執することなく、必要ないものを手放せば、それだけで変化の幅は大きくなっているはずだから。
何かを手放すと、その手放したところに、新たなものが入ってくるもの。
この新たなものが、新鮮な刺激を与え、様々なところで化学変化が起きる。
思ってもみなかったほどの変化が生じる。
そもそも、人が大きく成長する時というのは、何かを手放した時なんよね。
決して、何かを得た時ではない。
だって、何かを得る時には、必ず、何かを手放しているはずだから。
手放すことがあってこそ、何かを得る。
あまり意識しないことだが、こういう順番になっている。
だから、手放すことができるものは手放せば良い。
たとえ、それが、感覚であっても、考えであっても、習慣であっても…
必要ないなら手放せば良い。
手放すことで人は成長していくんやから。
そして、人はどこまでも成長することができるため、誰しもが今は未完であり、発展途上である。
ゆえに、今の自分の感覚や考えに固執することはない。
また、どんな時であれ、そこが完璧ではない。
まだまだ上があるし、素晴らしいものはある。
そのため、今の自分の感覚や考えを絶対的なものとしないこと。
必要以上に当てにしないこと。
なんたって、今の自分は、発展途上なんやから。
誤っていることもあることを受け入れた上で過ごせば良い。
こんな感覚でいると、固執することなく手放しやすくなるから。
案外、そんなものなんやで。
サコヤンの独り言
「自分の感覚が正しいとは限らない」