何をするにしても、合うか合わないかは事前に考えない。


すごく大事。


なぜなら、合うか合わないかは、感じるものであって頭で考えることではないから。


身体で感じるものを頭で考えても、正解にたどり着くものではない。


身体で感じるものは、素直に身体で感じる。


考えることが必要な場合には、頭で考える。


何をするかによって、判断する方法は異なるもの。


すべてをゴッチャにして、頭で考えるのは、良い方法とは言えない。


なんせ、感じることと考えることは、まったくの別物だから。


まったくの別物を同じように扱うから、どうしてもズレが生じる。


方向性を誤ってしまう。


もちろん、考えることは、素晴らしいこと。


人として重要な能力。


だからといって、考えることに特化する必要はない。


何でも考えることによって処理する必要はない。


だって、考えることが絶対的なものではないから。


そもそも、考えることを司る左脳は、右脳に比べ情報処理能力が劣る。


処理できる度合いが桁外れに異なる。


そんな左脳をフルに活用しても高が知れている。


ゆえに、感じることを司る右脳をもっと活用した方が良い。


考えること以上に感じることを多用した方が良い。


なぜなら、考えることばかりしていると、感じることをしなくなるから。


感じる力が衰えていくから。


実際は、感じる方が膨大な情報を処理できるというのに…


考えることで理性を働かせながら過ごすと、処理能力が低い左脳ばかりを使うことになる。


処理能力の高い右脳があるというのに、右脳を活用しなくなる。


すごくもったいない。


もっと力を発揮できる方法があるというのに、その方法を自ら封印しているんやから。


考えることは意識できるが、感じることは意識できない。


そのため、容易に意識できる考えることを頻繁に使うことになる。


でも、考えることばかりだと、行き詰ることも多い。


しかも、一度壁にぶち当たるとそこから脱け出しにくくなる。


考えれば考えるほど、不安や怖れが膨らみ悪循環に陥ることも…


それに、多くの人は、良いことばかりを考えることって、中々、できないようになっているもの。


つい、マイナスなことを考え、マイナスな方に意識を向けてしまう。


考えることによって、マイナスに焦点を当て、マイナスを引き寄せる人はたくさんいる。


考えることが必ずしも良いというわけではない。


だから、感じることの重要性を改めて認識し直す必要があるのだろう。


けど、多くの人が、子供の頃から、感じることをあまりしてきていない。


なんせ、受験は感じることを重要視していないから。


考えることを重要視しているため、どうしても考えることに偏ってしまう。


日頃から考えることばかりしているから、考えることによって判断することに慣れてしまう。


こういったことのために、感じることによって判断する場合でも、考えることで判断しようとするようになる。


ひょっとすると、受験システムの一種の弊害なのかもしれない。


世の中は、何でもかんでも考えるだけで上手くいくわけではない。


しかも、何でもかんでも考えることで処理していると、自分の可能性を閉ざすことにもつながる。


だって、考えてばかりだと、事前に選択肢を絞ってしまうから。


これは自分に向かない、と判断すると、やりもせず選択肢から排除する。


実は、この選択肢が自分を大きく成長させる選択肢だったとしても…


排除した選択肢は、自分には関係ないものとなり、何もないまま時が過ぎる。


仮に、選択肢を受け入れ、実際にやっていたら人生が大きく動いていたのかもしれないのに…


どんなものが自分に、自分の人生に影響を与えるかは分からない。


ゆえに、事前に選択肢を絞り、多くの選択肢を排除するのはもったいない。


これは、自分で自分の成長する機会を奪い、自分の可能性を閉ざしていることを意味する。


人は、何からでも学び、成長することができる。


そのため、事前に排除するのではなく、何でもやってみたら良い。


やってみて、初めて、自分に合うかどうかを判断したら良い。


もし、合えば続けたら良いし、合わなければそこで止めたら良い。


事前に考えて決めるのではなく、やってみて身体で感じて決める。


判断は、やった後でも大丈夫。


その方が、自分の中に、濃い経験値が溜まっていく。


薄っぺらい経験値を溜めるのではなく、実体験が伴った濃い経験値を溜める。


それが、今後の自分につながっていく。


考えることは大事だが、決して、絶対的なものではない。


考えることで判断できないものは、たくさんある。


だから、場面場面によって、ここは考えた方が良いのか、感じた方が良いのかを使い分ける必要がある。


何でもかんでも考えることで対処して良いわけでもない。


合うか合わないかは考えても答えにたどり着かない。


答えにたどり着かない方法をいくら繰り返しても、答えにはたどり着かない。


多くの時間を無駄に使うだけ。


考えることで答えにたどり着かないなら、感じる方法を試してみる。


何かを感じれば、それをキッカケにしてまた考えれば良い。


考えるだけが術ではない。


感じることをもっと有効に使いなよ。


きっと、今まで以上に人生が好転していくから。


案外、そんなもの。



サコヤンの独り言

「考える術が向いているものもあれば、感じる術が向いているものもある」