迷惑をかけてはいけない。


ものすごく当たり前のように思える。


だが、実際は、当たり前ではない。


だって、誰もが、誰かに迷惑をかけて生きているし、誰かに迷惑をかけられながら生きているから。


誰にも迷惑をかけていない人は一人も存在しない。


誰かに迷惑をかけられずに生きている人も一人もいない。


ゆえに、人は、広い意味で支え合いながら生きている。


バランスを取りながら生きている。


他人に迷惑をかけてはいけない、と学ぶが他人に迷惑をかけずに人生を全うする人なんていやしない。


誰だって、誰かに迷惑をかけるもの。


でも、誰かに迷惑をかけると、相手を傷つけることで自分は多くのことを学ぶ。


相手から厳しい反応が返ってくることで、自分は大切なことを学ぶ。


迷惑をかけることで重要なことを学べば、それを次の他人に活かすことができる。


ある人に迷惑をかけた分、別な人の役に立てば良い。


これで、一応バランスは取れている。


人は、誰もが未熟であり、完璧な人なんて存在しない。


だからこそ、他人に迷惑をかける必要があるんよね。


なぜなら、誰かに迷惑をかけることでしか学べないことがあるから。


迷惑をかけることは必ずしも悪いことではない。


次の他人につなげる意思があるなら、巡り巡ってちゃんと役に立つ。


仮に、自分に実力がない場合、人のために動いたつもりでも、目の前の人に迷惑をかけることになるかもしれない。


それはそれで構わない。


なんせ、迷惑をかけることで、今の自分の実力が明確になるから。


明確になればなるほど、何をすれば良いかが分かる。


そして、自分の実力が上がれば、それだけ多くの人の役に立つことができる。


力をつけて人の役に立つ意思があるなら、他人に迷惑をかけても構わない。


そもそも、自分の迷惑を受ける相手は、自分の迷惑を受けるために現れている可能性が高い。


そのため、あまり、気にする必要はない。


人には、それぞれ役割があるんやから。


自分の世界に現れる人は皆、何かしらの役割を担っているもの。


ある人は、家族の役を担い、ある人は恋人の役を担い、ある人は迷惑をかけられる役を担っている。


これだけでなく、様々な役を担って、自分の目の前に現れてくれる。


しかも、一人一人すべてが自分の成長のために現れてくれている。


出会う人すべてが、自分の成長には欠かせない人。


そして、出会う人それぞれが自分のベストなタイミングで出会っている。


不思議なことに、そうなっている。


何かの縁があって出会ったのに、長続きしない人というのは、何か特別な役割を担っている人が多い。


後になって考えてみると、大切なことを気づかせるために現れてくれたんだな、と何となく分かる。


そもそも、迷惑をかける方と迷惑をかけられる方は二人でワンセット。


迷惑をかける方は、迷惑をかけることによって大切なことを学べる。


一方、迷惑をかけられる方は、迷惑をかけられることによって大切なことを学ぶ。


お互いがお互いの立場で大切なことを学ぶ。


屁理屈かもしれないが、迷惑をかける方は迷惑をかけることによって、相手に学ぶ機会を与えていることにもなる。


迷惑をかけないことは、相手に学ぶ機会を与えないことでもある。


何かをすることで学ぶことはあるし、何かをされることで学ぶこともある。


頭でっかちになって、何もしないうちから禁止にする必要はない。


なんせ、頭で分かっていても、感覚で分からなければ理解したことにはならないから。


迷惑をかけてはいけないとあらかじめ決めつけていると、なぜ、迷惑をかけてはいけないのかが分からない。


迷惑をかけることによって、学べることを学べなくなる。


知識で知っているだけのことなんて、あまり、役に立つものではない。


だからこそ、実際にやってみることが大事。


一般的な常識を振りかざして、知ったかぶりをしても自分のためにはならないもの。


ただ、多くの人が小さい時から培った〇〇してはいけない、△△しなければならない、といった一般的な常識に縛られて生きている。


体験の伴わない知識を重要視している人は山ほどいる。


これによって、狭い世界で生きている人はたくさんいる。


実際にやって知る情報と知識だけで知っている情報では、どうしてもズレがあるもの。


ズレがあるのが普通。


でも、そのズレがあることを確かめないから、知識で知っていることが合っているものと決めつけてしまうんよね。


そのため、知識で知っているだけで、深いところまで理解しているつもりになっている。


これこそが大きなまちがい。


ゆえに、知識で知っている情報を鵜呑みにしてはいけない。


ちゃんと体験して感覚で味わうことが大事。


他人に迷惑をかけることだってそう。


実際に迷惑をかけることによって、良いことも悪いことも気づくことができるんやから。


迷惑をかけることだけを見ると、迷惑をかけることは悪のように見える。


だが、迷惑をかけたことによって学び、力をつけ人の役に立てるようになれば、善としてとらえることができる。


一方的に、迷惑をかけてはいけないと決めてかかると、気づけない部分もある。


やることでしか気づけない部分というのは、どうしても存在する。


だから、やる必要があるんやで。


仮に、何かやりたいことがあるなら堂々とやれば良い。


たとえ、それが、他人の迷惑になる可能性があったとしても…


迷惑をかけることで学べることもあるんやから。


迷惑をかけた人に対しては申し訳ない気持ちを持ちつつ、そこで学んだことを次の他人に活かせば良い。


どこかでマイナスを与えたなら、どこかでプラスを与えれば良い。


これで、一応、帳尻は合い、バランスも整う。


人生は、バランスを整えるようにしたら良いもの。


案外、そうなっているんやで。



サコヤンの独り言

「誰かに迷惑をかける必要があるなら、迷惑をかけてもそれはそれで構わない」