自分に起きるすべてのことに、自分の心を知るヒントが含まれている。


どんな人と出会うのかにも、ヒントが含まれている。


どんな出来事を経験するのかにも、ヒントが含まれている。


良い感じを抱いたのなら、その時の自分の心は良い証。


悪い感じを抱いたのなら、その時の自分の心は乱れている証。


良くも悪くも、自分の心を知ることができるようになっている。


自分の心を知ることってすごく大事。


なんせ、自分の心が、様々な基本となっているから。


心に基づいて、考え、想い、行動などが決まってくる。


その時の自分の心を知ることによって、様々なことに活かすことができる。


もし、今上手くいっていないなら、考え、想い、行動、意識、といったものを修正する必要がある。


そして、修正するには、今の自分の心を知ることが欠かせない。


なんたって、心というのは、土台のようなものだから。


表面的なものだけを修正しても、本当の解決にはならない。


時の流れと共に、また、表面的なものを修正する必要が出てくる。


しかも、これを何度も何度も繰り返すことになる。


だから、本当の解決をするには、土台である心を修正する必要がある。


ただ、心を知る習慣を持っている人は少ない。


だって、そんなこと誰も教えてくれないから。


けど、心を意識して過ごしていると、人生が違って見えるようになるのはまちがいない。


なぜなら、自分自身のことがより深く分かるようになるから。


そもそも、自分自身に起きるすべてのことは、自分の心が引き寄せている。


出会う人も、経験する出来事も、何もかも。


そのため、良いと感じることも、自分の心が引き寄せている。


悪いと感じることも、自分の心が引き寄せている。


その時の自分の心に反応したものが目の前に現れるようになっている。


単に、心を反映しているに過ぎない。


よって、一つ一つのことが自分の心の状態を教えてくれている。


良いことがあったなら、嬉しいと想いつつ、心の状態が良いんだな、ととらえたら良い。


だが、悪いことがあったなら、傷つく前に、心の状態が乱れていることを意識することが大事。


なんたって、傷ついてしまうと、傷ついたことに意識が取られ、他のことを何もできなくなってしまうから。


そのため、傷つく前に、心の乱れの要因を追求すること。


これが大事。


傷ついている場合ではない。


傷ついたところで意味はない。


なんせ、傷つく要因となるものを引き寄せたのは、自分自身だから。


たとえ、誰かに嫌なことをされたとしても、その人を引き寄せたのは自分の心。


自分が引き寄せたものによって傷つく。


いわば、自分が原因で自分を傷つけている。


それなのに、嘆いたところで仕方がない。


相手に何を言おうと、何をしようと、どうなるわけでもない。


だって、原因は自分の心にあるんやから。


厳しく言うと、傷つくというのは、自分の責を認めていない行動なんよね。


自分以外の何かのセイにしている証。


傷ついている暇があったら、その原因を探ること。


そして、気づいて次に活かすこと。


これこそが重要。


普通、嫌なことは起きて欲しくないと想うもの。


傷つくことを怖れ、避けたくなるもの。


だが、実際は、嫌なことを引き寄せる程度の自分の心を知ることが怖いのではないか。


自分のいたらなさが明らかになるのが怖いのではないか。


ただ、嫌なことが起きるというのは、心が乱れていることを教えてくれるため、本来は重要な情報なんよね。


なぜなら、乱れていることに気づけば、修正してより良くすることができるから。


乱れていることに気づかないまま過ごすことの方が、良くない。


嫌なことであっても、ちゃんととらえると自分のためになる。


そもそも、多くの人にとって、自分の心が乱れているという事実は知りたくないものだし、認めたくもないものである。


自分自身はより良い存在でありたいという願望があるため、良くないことは受け入れようとはしないもの。


自分の良くないことには、目を向けないもの。


でも、良い部分だけを認め、悪い部分を認めようとしないからバランスが崩れる。


良い部分も悪い部分も、両方含めて自分が成り立っている。


どちらが欠けても、自分は成り立たない。


そこで大事なのは、悪い部分をあるがまま認めること。


心が乱れることもあるのを、あらかじめ認めること。


すると、嫌なことが起きても大丈夫、という心境になる。


そして、嫌なことを過剰に避ける必要がなくなる。


なんせ、嫌なことが起きても自分の心が乱れていることを教えてくれている、ととらえると嫌に感じることに対して、真正面から向き会うことができるようになるから。


嫌なことというのは、自分以外のセイにしているから嫌と感じるもの。


自分が引き寄せたものであり、自分の心の乱れが原因であるととらえると、嫌と感じるものではなくなる。


むしろ、ありがたくなる。


素晴らしい情報を与えてくれたことに…


嫌なことを嫌ととらえるか、重要な情報ととらえるか、天と地ほどの差がある。


どうせなら、重要な情報ととらえなよ。


そしたら、何をするにしても、過剰に警戒することも、身構えることもする必要がなくなるから。


堂々と、行動を取ることができるようになるから。


案外、そんなものなんやで。



サコヤンの独り言

「自分に起きることに自分の心を知るヒントが含まれている」