その時の最高の結果しか出ない。


どんな結果が出ようと、その時の最高の結果が出ている。


そもそも、その時の最高の結果しか出ないようになっている。


ゆえに、良い結果を出したい、悪い結果を出したくないと想う必要はない。


良い結果と悪い結果の区別なんてないんやから。


すべての結果が、その時の最高の結果となっている。


良い結果か悪い結果かなんて、いいかげん。


だって、そんなのは、自分の都合で設定した基準を上回っているか下回っているかで決まっているんやから。


いいかげんな基準に基づいて、いいかげんな評価がくだっている。


そんな評価信じる必要はない。


信じたって、振り回されるだけで、良いことはない。


評価なんてものは、いつだってその時の最高の結果が出る、ととらえていたらよい。


区別するから、行動にためらいが生じる。


区別するから、迷いが生じる。


区別するから、選択肢が生じる


だったら、区別しなければ良い。


どんな結果であろうと、その時の最高の結果として受け入れたら良い。


たとえ、自分のベストとは程遠くても、ベストを出せなかったのは自分のセイであって誰のセイでもない。


ベストを出せるような準備をしなかった自分の責任。


準備を含めての結果。


それはそれで、受け入れるしかない。


その時の最高の結果と認めるしかない。


なんせ、出た結果は覆らないから。


良い結果もその時の最高の結果。


悪い結果もその時の最高の結果。


どんな結果であろうと、その時の最高の結果しかでない。


結果のできに幅はあるが、その時の最高の結果しかでない。


その時の最高の結果しか出ないことが、初めから分かっていると、ためらうことも、迷うことも、怖れることも必要なくなる。


なんたって、何をしようと、その時の最高の結果しか出ないんやから。


結果に区別があるわけではない。


出る結果の区分は一つだけ。


だから、どんな結果を出したいのか、迷いたくても迷えない。


良い結果と悪い結果の区分を取っ払うと、ノビノビとやれるようになる。


なぜなら、多くの人が、悪い結果を出したくない、という想いから解放されるから。


たくさんの人は、想いに縛られることによって、自由に動けなくなっている。


想いに縛られることによって、挑戦できなくなっている。


想いに縛られることによって、マイナスなイメージを膨らませるようになっている。


いつしか、自分自身に多くの制限がかかっている状態に…


しかも、選択肢が限られてしまっている。


だって、悪い結果を出したくない、という想いを前提にしていると、悪い結果が出そうなものを排除するようになるから。


やれるものしか、良い結果が出そうなものばかりしかやれないのは、明らかに、選択肢が少なすぎる。


これでは、順調に成長できるものではない。


小さな世界の小さな範囲でしか生きることができなくなる。


ただ、多くの人が、小さな世界の小さな範囲で生きているのが現状。


なんせ、たくさんの人が、小さい時から、悪い結果を出してはいけない、という教育を受けてきたから。


一種の刷りこみとして、悪い結果を出すことが悪であるかのようにとらえている人は山ほどいる。


悪い結果を出すことはいけないものとして決めつけている人は、大勢いる。


だから、悪い結果を怖れ、悪い結果を避けるようになるんよね。


悪い結果を怖れ、悪い結果を避けるため、挑戦することにためらいが生じる。


なぜなら、悪い結果が出ると分かっていて、挑戦しようとは想わないから。


良い結果と悪い結果に区分すると、どうしても、こういったことが起きてしまう。


ゆえに、結果そのものに区分しない方が良い。


良いか悪いかなんてどうでもいい区分なんてしなくて構わない。


区分は一つで、その時の最高の結果が出る、という区分でOK


これだけで、事足りる。


必要以上に区分けることで、かえって、行動しにくくなる上に、生きにくくなる。


良い結果も、悪い結果もない。


そうとらえることが大事なのだろう。


なんたって、余計なことで、不安や怖れ、心配を膨らませることに意味はないから。


こういったことを膨らませて、何もできないことになると、多くの時間を無駄にしてしまう。


だから、区分は一つで良い。


一つなら、迷うことなく、行動に取り組むことができるようになる。


とにかく、行動に移すことができるようになる。


どんなに考えても事態は進展しないが、行動一つで事態は進展する。


そのため、迷いやためらいを抱かないような工夫をする必要があるんよね。


この工夫の一つが、その時の最高の結果しかでない、と出る結果の区分を一つにすること。


迷うことができない設定を設けることは立派な工夫。


良い悪いといったつまらない評価は必要ない。


誰かのために、良い結果を出すわけでもなく、悪い結果を出すわけでもない。


自分が出す結果は自分のためにあるものであり、その時の最高の結果ということが分かればそれで十分。


わざわざ、良い悪いを決めても意味がない。


だから、何をしようと、その時の最高の結果が出る、ととらえて臨めば良い。


すると、ものすごく、心を楽にしてやれるはずだから。


案外、そんなものなんやで。



サコヤンの独り言

「何をしようと、その時の最高の結果が出るようになっている」