人は誰かの役に立っている時、嬉しくなる。


人は誰かの力になっている時、喜びを感じる。


人は誰かに必要とされていると実感している時、生きている実感を味わう。


自分のためにやっている時より、誰かのためにやっている時の方が感情は大きく動く。


自分のためだけにやっている時というのは、心が動き感情を抱くのは最初の方だけ。


でも、誰かのためにやっていると、心はずっと動き、絶えることなく感情を抱き続ける。


自分のために動くのか。


誰かのために動くのか。


自分のために動いていても、モチベーションは長く続かないため、次第に失速するようになる。


だが、誰かのために動いていると、モチベーションは高いままを保ち続けることができるためより前に進むことができる。


チョットの意識の違いで、人生は大きく異なる。


もちろん、多くの人が、人の役に立った方が良いことを知っている。


知ってはいるが、実際に動く人は少ない。


なんせ、何をしたら良いのか分からない人は多いから。


自分の力に自信を持てず、自分がやれば相手に迷惑をかけるのではないかと心配している人は山ほどいるから。


人の役に立ちたいと、何となくでしか思っておらず本気で思っていない人は大勢いるから。


誰かに必要とされることは、大きな生きがいとなる。


だが、最初から必要とされることを求めたり、役に立つことを求めるのは、アカンのよね。


これは、自分自身のエゴでもある。


必要とされたいからやるのでは、必要とされたいという欲を満たすためだけの行動であって順番が違う。


本来なら、相手により良くなってもらいたいと思って、相手のためになる行動をするからこそ、相手に必要とされるもの。


その結果として、嬉しさや、喜び、生きがいなどを得ることができる。


素晴らしい結果を得たいからやるのではなく、相手により良くなってもらいたいからやる。


動機が自分を向いているのか、相手を向いているのか。


それによって、取り組む姿勢や意識が変わってくる。


動機が自分に向いていると損得の計算をして、考えたり動いたりする傾向が強くなる。


でも、動機が相手を向いている場合は、相手がより良くなるために考えたり動いたりする傾向が強くなる。


不思議と、自分のことばかりを考えて動いても、大した結果を得ないことは多い。


けど、自分のことをあまり考えずに誰かのことを考えて動くと、最終的には、思っていた以上に良い結果をつかむことが多い。


自分のことを考えていないのに、大きな結果をつかむ。


そういう現象が、意外と、よく起こる。


ゆえに、何かを始める際、最初から自分のためになることを考えない方が良い。


考えれば考えるほど、我欲に支配される。


自分の都合の良いように考えるようになるし、動くようになる。


そして、望む結果から遠ざかることになってしまう。


だから、人に対して、直接働きかける時は注意が必要。


だって、喜びを感じたいために役に立つことをやるのか、純粋により良くなってもらいからやるのかでは、全然違う結果が出るから。


一見、両方同じように見えるもの。


だが、よくよく見てみると、重きを置いていることが違う。


一方は自分に重きを置き、もう一方は相手に重きを置いている。


人のためにやっている行動でも、何に重きを置くかが違えば、何もかもが違ってくる。


根本が自分のためになっているのであれば、結局は損得勘定で動いてしまう。


けど、根本が、純粋に相手により良くなってもらいたいと思っていれば、自分の損得勘定を超えたもので動くことができる。


ただ、純粋な気持ちで、相手により良くなってもらいたいと思って臨むことは容易なことではない。


なぜなら、多くの人にとって、人の役に立つことは素晴らしいこと、といったことが刷りこまれているから。


そのため、素晴らしいことを得るためにやろうとする。


プラスになることが経験上分かっているから、人の役に立とうとする。


やるかやらないかを、自分の損か得かで決めるようになる。


だから、より良い結果が出そうと分かっているものしかやらなくなってしまうんよね。


そして、結果が出そうにないものは、やらなくなってしまう。


すると、やる時点で、リスクが限りなく少ないものばかりを選ぶようになる。


でも、最初は、結果が出そうにないことをリスクを承知でやって大成功を収めた、という事例はたくさんあるんよね。


リスクを背負ってでもやれるかどうかは、損得勘定の範囲を超えた行動ができるかどうかで決まる。


損得勘定の範囲内でしか動けなければ、リスクを背負うことはできない。


けど、損得勘定の範囲を超えて動くことができれば、リスクを背負ってでもやることができる。


そこで、損得勘定の範囲を超えて動くために必要なのが、自分以外の人に対して、純粋により良くなってもらいたいという想い。


この想いを、どれほど強く抱くことができるかが肝となる。


役に立ちたいから動く、というのはまだまだ自分のエゴに過ぎない。


より良くなってもらいたいから動く、というのが本来の動機となるものなんよね。


こう想うことができるようになればなるほど、より幅広く動くことができるようになるのだろう。


なんだか、そんな気がしている。


とにかく、少しずつで良いから相手に重きを置いて生きるようにしなよ。


その方が、人生は展開していくから。


案外、そんなものなんやで。



サコヤンの独り言

「純粋に、より良くなってもらいたい、と想いながら人と接しよう」