自分の人生にもっと本気になる。
ものすごく大事。
なぜなら、本気で生きた方が人生は楽しくなるから。
なのに、本気で生きる人は少ない。
多くの人が、学生の間に、自分を抑えるようになってしまう。
周囲をうかがいながら過ごすことで…
自分だけ本気で生きることが、恥ずかしいことのように感じる。
だから、本気で生きることを遠ざけ、周りと同じように適当に生きる。
ただ、自分の人生は、自分にしか責任は取ることができないもの。
どんなに仲の良い人であっても、自分の人生の責任を取ってはくれない。
そのため、もっと自分の人生を本気で考えた方が良い。
周囲に合わせていても、周囲の雰囲気に流されていても、何にもならない。
あくまでも、自分は自分。
人は人。
自分の人生は、自分が生きるものであり、人に合わせる必要はない。
自分の人生を誰かに預ける必要はない。
自分で考え、自分で決め、自分の意思で動けば良い。
周囲の目など気にすることなく…
周囲の目をうかがい、自分を抑えても何の意味もない。
今に留まり、これまでと同じ生活を過ごすだけ。
そんなことしても、喜ぶのは、適当に生きている周囲の人達だけ。
周りにいる人は、誰かが本気で生きることを怖れているもの。
自分が取り残されるのを怖れているもの。
ゆえに、本気で生きさせないようなアクションをとったりする。
だが、自分の人生は、自分の可能性を広げ、自分の力を試す場でもある。
なのに、適当に生きていると、可能性は広がらないし、自分の力を試すこともできない。
すごくもったいないよね。
人は皆、奇跡の連続でこの世に命を授かっているんやから。
奇跡の連続の結晶が、今の自分の命であり、自分の姿なんよね。
そんな貴重なものを適当に扱うのは、本来、してはいけないものなのだろう。
本当なら、より良い自分になり続ける必要があるのだろう。
人が誕生するということは、こういう意味が含まれているのではないか。
なんだか、そんな気がする。
けど、人は、育つ過程で本気で生きることを止めてしまう。
楽を覚えてしまって…
本気で生きたって意味がないと思い込んでしまって…
適当に生きる周囲の人達に合わせてしまって…
本気で生きる必要がないと感じれば、人は本気で生きなくなる。
手を抜き、自分に甘え、適当に生きるようになる。
本気で生きる楽しさを知らないんよね。
残念ながら…
本気で生きれば、学ぶことや得ることが多く、人として大きく成長できる。
人として大きく成長できることが、本気で生きる醍醐味。
なのに、今は、勘違いしている人が山ほどいる。
本気で生きても、必ずしも、素晴らしい結果を得ることができるものではない、ととらえている人は結構いる。
ゆえに、本気で生きたって、仕方がないと思い込んでいる人は大勢いる。
確かに、本気で取り組み、本気で生きたとしても、望む結果を得ることができないことはよくある。
だからといって、本気で生きることが無駄になることではない。
だって、望む結果を得ることができなかったからといって、その過程ではたくさんのことに気づき、多くのことを学んでいるはずだから。
また、心が折れるほどの悔しさというのは次につながる。
だが、結果が出なかったことを悪ととらえることによってすべてを否定すると、すべてが台無しになる。
せっかく得たプラスも打ち消されてしまう。
結果はあくまでも結果であって、どうってことない。
それよりも、結果が出るまでに得たプラスなことを、しっかりと受け止め育むことが大事なんよね。
こうしていると、結果は後からついてくるから。
次第に、結果が出るようになっていくから。
そもそも、結果は、今出す必要はない。
今力がある人は今出せば良いが、今力がない人は後になって出せば良い。
それでOK。
ただ、後になって結果を出すためにも、今を本気で生きる必要がある。
今を本気で生きることによって生じるプラスなことを、しっかりと育む必要がある。
本気で生きるというのは、結果のためではなく、未来の自分のためのものなんよね。
周囲の様子をうかがったり、恥じらいを抱いている場合ではない。
自分の人生は自分が生きるもの。
自分の本気度によって、未来の自分の姿が変わってくる。
だから、今こそ、もっと本気で生きた方が良い。
より良い人生を歩むためにも、より良い自分になるためにも。
未来における自分の姿は、今からの自分の言動によって決まってくる。
どんな自分でありたいのか、その想いの強さが、今の自分に大きな影響を与える。
ゆえに、普段から、誇りを持てる自分をイメージしておきなよ。
そうやってイメージしながら普段の生活を過ごしていると、今を生きる姿勢や意識、気持ちが変わってくるものだから。
案外、そんなものなんやで。
サコヤンの独り言
「未来の自分のためにもっと本気で生きよう」