自分のことは自分でやる。
すごく大事。
ただ、口で言うのは簡単だが、実際にやるとそうではない。
だって、自分で考え、自分で決め、自分の意思で動くことをきちんとやっている人は少ないから。
誰かの考えにのる人は多い。
誰かが決めたことについていく人はたくさんいる。
指示されてでしか動けない人は山ほどいる。
人は皆、自分で考えることもできるし、決めることもできる。
また、自分の意思で動くこともできる。
だが、できるにもかかわらず、やろうとしない。
なんたって、自分一人で責任を負うのを敬遠しているから。
自分が主体になってやると、責任の大半は自分が負うことになる。
でも、責任を負うと煩わしいし面倒くさい。
だから、自ら責任を負うようなことはしないもの。
誰かに任せ、その後についていく方が楽だし、自分を守ることができる。
その上、上手くいかない時には、責任転嫁できるし、自分が負担を負わずに済む。
自分を守るために、自分を前面に出さない。
周りの様子をうかがいながら、自分の言動を決める。
こういうことを、小さい時から学んでいる。
生きる術と言っても良いだろう。
集団生活を送る上で、自分を守る術を身につけることは大事。
けど、集団生活を生きるための術が、自分自身の足枷となっている。
自分の人生を自分らしく生きにくくしている。
なぜなら、自分の人生だというのに、自分の意で生きることができなくなっているから。
自分の想いや考えよりも、周囲が考えることを優先する。
また、周りが考え決めたことに従うようになる。
そして、周りが決めたことを絶対的なようにとらえる。
すると、自分で何も考えなくなる。
自分で何も思わなくなる。
自分で何も決めなくなる。
だって、自分が考えることも、思うことも、決めることも必要なくなるから。
周りに従っていれば、自分がやらなくても、周りが勝手にやってくれる。
人は、楽をする性質があるため、自分がやらなくて良いものは、やろうとはしないもの。
ただ、やらないことが続くことによって、一切できなくなるんよね。
自分で考えなければ、自分で考えることができなくなる。
自分で思わなければ、自分で思うことができなくなる。
自分で決めなければ、自分で決めることができなくなる。
いつも、誰かを当てにしていると、いざ、という時なにもできなくなってしまう。
常に、人を当てにしていると、自分一人では何もできなくなってしまう。
自分一人でやる状況であっても、誰かを当てにして何もしなくなってしまう。
もちろん、人は一人では生きてはいけない。
だが、最低限のことは自分一人でやる必要がある。
自分で考え、自分で思い、自分で決め、自分の意思で動くくらいは…
誰かにやってもらうとものすごく楽。
けど、誰かにやってもらうことに依存すると、自分を駄目にしてしまう。
しかも、依存していることに自分では気づきにくいため、自分を駄目にしていることに気づかなかったりする。
それに、誰かにやってもらうことが当たり前になると、その生活から脱け出しにくくなるから、かなり厄介。
だから、自分でやれる最低限のことは、自分でやることが大事なんよね。
じゃなきゃ、自分を失い、他人がいなければ生きていけなくなる。
ただ、自分のことは自分でやる、ということを教わらずに育った人がいるのも事実。
人それぞれ環境が異なるため、特殊な環境で育った人もいるんよね。
例えば、親の言いなりになって育った人、過保護の中で育った人、心に深い傷を負った人などは…
親の言いなりになって育った人は、自分で考え、思い、決めることをしなくなる。
したらしたで、親の逆鱗に触れてしまうため、そういったことを抑えるようになる。
過保護の中で育った人は、やってくれる人が周りにいるため、やってくれることが当たり前となる。
いつもいつもやってもらっていると、自分だけでは何もできなくなってしまう。
心に深い傷を負った人は、傷つきたくないため周囲をうかがうようになる。
そして、傷つけられないような、嫌われないような言動を選ぶようになる。
自分の人生だというのに…
自分が主導権を持つことができていない。
自分の生き方を誰かに預けてしまっている。
ゆえに、こういう人は、人生がまったくといって展開していかないんよね。
そもそも、自分の人生は、誰かに預けるものではない。
誰かを当てにして生きるものではない。
自分以外の誰かが、生涯ずっと、自分をよりよくしてくれる、とは思わない方が良い。
そんなお人よしはいない。
だから、自分の人生は、自分で責任を持つ必要があるんよね。
最低限、考えること、思うこと、決めること、自分の意思で動くことくらいは、自分でやった方が良い。
自分のことを自分でやっていると、自分らしさも、自分の個も失わずに済む。
あまり意識されないことだが、これは、人生においてすごく大事なこと。
なんたって、自分で考えること、思うこと、決めること、自分の意思で動くことを放棄している人は山ほどいるから。
しかも、こういう人ほど、目の輝きを失っているもの。
ただ生きるのではなく、より良く生きることを意識しなよ。
そのためにも、初めから人を当てにするのではなく、自分でやれることは自分でやるんやで。
その積み重ねが、とてつもなく大きなものとなっていくから。
案外、そうなっている。
サコヤンの独り言
「人を当てにすることなく、自分にできることは自分でやろう」