しっかりと決意すること。


すごく大事。


なぜなら、しっかりと決意すれば、行動につながるから。


やることが決まっているかのようにとらえれば、ちゃんとやるもの。


なんせ、決まっていることに対しては、人は迷わないから、ためらわないから。


受け入れてしっかりとやるものだから。


決まっていないことに対して、決めていないことに対して、人は迷い、ためらい、不安を膨らませる。


中途半端な状況が、余計な感情を抱かせる。


ゆえに、余計な感情を抱かずに前に進むためにも中途半端な状況を改善することは、すごく大事。


ただ、しっかりやると決めて、取り組む人は少ない。


なぜなら、ちゃんと決めると、行動に取りかかるようになり、自分に責任がのしかかるようになるから。


決意することは、責任を負ったり、リスクを負ったりする意味も含まれているんよね。


だから、面倒なことが嫌いな人や、小さなリスクでも負いたくない人は、中々、決めるということを自らしないもの。


決めないことによって、リスクが生じることから自分を守っている。


ただ、自分で何も決めることができない人というのは、常に、周囲の人の目を気にして生きなければならなくなる。


自分らしさを捨ててでも、誰かの後をついていかなければならなくなる。


誰かがいなければ、生きていけなくなる。


とにかく、自分のことは自分で決めること。


そして、自分で決め、自分の力で人生を切り拓いていくこと。


こういう意識や姿勢ってものすごく重要なことなんよね。


なんたって、決めることができている人とできていない人では、今日を生きる姿勢が全然違うから。


例えば、自分の夢を叶えることをあらかじめ決めている人は、夢を叶えることができるように一日一日を過ごしている。


だが、自分の夢を叶えることを決めていない人は、夢が叶ったら良いなぁ、と他人事のようにとらえ適当に一日一日を過ごしている。


同じ時間を過ごしていても、意識、姿勢、気持ちといったものが異なれば、一日の濃さも全然違うものとなる。


その差は、時の流れと共に歴然として現れる。


でも、考えてもらいたいことがある。


それは、この差を生んでいるものが何なのかを。


ある時点で、しっかりやる、と決めるか決めないかの一点であることを。


どんなことでも、やると決めてやるか、決めずにやるかでは、大きな差が生まれる。


内定を得ると決めて取り組む人と、そうではない人ではやはり差が生まれる。


全国大会に行くと決めて取り組んでいるチームと、そうではないチームではやはり差が生まれる。


絶対に成し遂げると決めて取り組んでいる人と、そうではない人ではやはり差が生まれる。


できると決めてやるのは、できることを前提として取り組んでいる。


できたら良いなぁと想ってやるのは、できないことを前提として取り組んでいる。


チョットした違いだが、大きな違い。


ただ、多くの人は、できたら良いなぁ、と想って取り組んでいるもの。


知らず知らずの内に、できないことを前提として、やれっこないと思いこんだ上で取り組んでいる。


だって、夢を叶える重要性を知らずに育つ人は多いから。


今の自分では叶いっこないものに挑戦する素晴らしさを学んでいない人は大勢いるから。


目指す前に、自分には無理と、勝手に判断してしまう人は山ほどいるから。


そもそも、やると決めて取り組む習慣がないんよね。


また、やると決めて取り組んで上手くいかなかった時のダメージを考えると、決めてやることに躊躇してしまう人もいる。


前に進むことよりも、ダメージを受けないようにすることが優先されている。


だから、決めてやる、ということを遠ざけてしまう。


なんせ、自分さえ、決めてやることから逃げていると、それだけである程度のリスクを回避することができるから。


でも、常に、決めてやることから逃げていると、人生そのものがつまらないものになってしまう。


なんたって、いつも人任せなため、大きな感動を味わう機会は少なくなるから。


人に頼っている時は、抱く感情は、半分以下になるものなんよね。


嬉しさも楽しさも、悔しさも、悲しさも、ほぼすべての感情が…


しかも、心の揺れ幅が小さければ小さいほど、記憶に残らない。


後になって思い出すこともできない。


すると、後々になって、自分の人生を後悔することになる。


よくよく考えてみると、決めてやる、ということは自分の人生を華やかにするものなのかもしれない。


だって、心が大きく揺れ動き、記憶に残る行動につながるから。


もちろん、やると決めて取り組んでも上手くいかない場合もある。


だが、これはこれで良い。


その時は、目一杯悔しがれば良い。


悔しい想いを存分に感じたら良い。


涙が出るなら、出るだけ悔し涙を流せば良い。


それは、後になってみると、素晴らしい思い出に変わっているものだから。


悔し涙や嬉し涙をこぼすことができるように日々を過ごしなよ。


こうやって過ごしていると、高い確率で、自分が成長し続けるから。


ただ、嬉し涙や悔し涙というのは、自分で決め、自分が精一杯やった後に流れるもの。


人任せでは、流すことができない。


だから、自分で決め、自分で取り組みなよ。


嬉し涙や悔し涙の数が多ければ多いほど、人生は素晴らしいものになっていくはずだから。


後々になって、人生を振り返っても、楽しいものになっているはずだから。


案外、そんなものなんやで。



サコヤンの独り言

「自分で決めて自分でやろう」