想いは相手にぶつけなきゃ届かない。


想っているだけでは届きはしない。


感じとって欲しいと想ったところで、相手は察してはくれない。


何を想い何を感じているかなんて、誰にも分からないもの。


自分が相手に伝えなきゃ相手は分からないし、相手は自分に伝えてくれなきゃ自分は分からない。


本当に何を想っているかなんてのは、その人にしか分からない。


だから、想いは想っているだけでは、相手には伝わらない。


想いは、相手にぶつけてこそ、初めて伝わるもの。


だが、自分の想いを相手にぶつけることって、すごく大事なことなのだが、馴染みが薄い。


小さい時から、自分の想いをぶつける機会って、自分が思っている以上に少ないんよね。


多くの人は、自分の想いをぶつけることなく過ごしているのではないか。


ぶつけたとしても数えるほどしかぶつけていないのではないか。


なんせ、日本で暮らす上では、自分の想いを直にぶつける機会というのは、そないにないから。


人間関係では、お互いがお互いを察し、曖昧な表現を頻繁に使う。


自分の想いを相手に直にぶつけるということをほとんどしない。


たくさんの人が、小さい時からこうやって過ごしている。


自分の想いをぶつけるという風習が日本では育っていないんよね。


なんたって、自分の想いをぶつければ、自分自身の立場が危うくなる可能性は高くなるから。


自分の想いを直にぶつけることによって、ウザいと想われることだってある。


相手を傷つけることだってある。


集団から除かれてしまい孤独を感じてしまうことだってある。


ゆえに、自分の想いをぶつけることに対して遠慮がちになってしまうんよね。


自分自身何かしらの想いを抱いたとしても、それを相手にぶつけることなくグッとこらえることはよくある。


我慢して飲み込むことは山ほどある。


しかも、小さい時から、こういうことが続いていたりする。


よって、いつしか、我慢することに慣れ、我慢することが当たり前になってしまう。


自分の想いをぶつけることによって、からまれることを怖れ、自分の想いをぶつけなくなる。


自分の想いをぶつけることによって、自分自身が傷つくことを怖れ、自分の想いをぶつけなくなる。


そのため、表面上の付き合いで保たれている人間関係というのは意外と多い。


少し会わなくなるだけで、人間関係が終わってしまうような関係はたくさんある。


その証拠に、携帯電話に入っているメモリーでしばらく使っていないメモリーは自分が思っている以上にたくさんあるんよね。


お互いがお互いの想いをぶつけない関係というのは、結構、自然消滅する可能性は高いもの。


時の流れと共に記憶は薄まり、関係性も薄まる。


いつまでも関係が続いている人といのは、お互いが自分の想いを相手にぶつけているもの。


良いことも悪いことも何だって…


そもそも、家族だって想いをぶつけなきゃ理解してもらえないもの。


他人だったら、尚更、想いは相手にぶつけなきゃ理解してもらえないもの。


だけど、嫌われたくない、傷つきたくない、といった感情が、自分の想いを相手にぶつけることを躊躇させる。


自分が我慢することで丸く収めようとする。


だが、我慢すればするほど、自分を抑えれば抑えるほど、関係性は冷え込むようになる。


誰かが我慢すれば、一見、上手くいっているように感じる。


でも、実際は、表面上で上手くいっているように見えているだけ。


だから、人と人が深く結びつくには、自分の想いを相手にぶつける必要がある。


もちろん、自分の想いをぶつけることのリスクはあるが、それを受け入れた上で自分の想いをぶつける必要がある。


なんせ、自分の想いをぶつけるからこそ、事態が進展していくんやから。


しかも、自分の想いをぶつけた方が、望むものを手に入れやすいようになっている。


好きな人ができれば、好きな想いを相手にぶつける人の方が、想っているだけの人より付き合う確率は高くなる。


何か強い想いを抱いたなら、それを実際にぶつける人の方が、想っているだけの人より形にする可能性は高くなる。


自分の想いを形にするには、ぶつけた方が良い。


ぶつけなければ、いつまでも想いのままであり、何にもならない。


悩むだけで多くの時間が流れていく。


そのため、自分の想いをぶつける人と、グッと我慢する人では、全然違う人生を歩むようになるもの。


自分の想いをぶつける人は、失敗をする数も多いが、望むものを手にする数も多い。


自分の想いをグッと我慢する人は、失敗する数も少なく、望むものを手にする数も少ない。


どちらが良いかなんてのは分からない。


正解なんて、各々が決めることだから。


ただ、自分の想いをちゃんとぶつけて生きた方が、人生を楽しく歩むことができる可能性は高いはず。


もちろん、すべてにおいて、自分の想いをぶつけて生きることができる人は少ないであろう。


なぜなら、そうするには、卓越した力を備える必要があるから。


けど、一日の少しの時間ならそれは可能。


ゆえに、自分の想いをぶつけることができる人を身近に持ちなよ。


こういう人を見つけることができれば、一生の宝となるから。


そこから得るものはたくさんあり、大きく成長できる。


でも、お互いが自分の想いをぶつけることができる関係を築くには、自分自身が自分の想いをぶつける習慣を持つ必要があるんよね。


だから、日頃から、自分の想いをぶつけることを意識して過ごしなよ。


できる限り、自分の想いをぶつけながら生きなよ。


そうやって過ごしていると、自分の想いをぶつけることができる人と出会うようになるから。


案外、そんなものなんやで。



サコヤンの独り言

「自分の想いはちゃんとぶつけよう」