人は、予測できると安心する。


だが、予測できないと不安になる。


だから、人は、安心を求め予測できるものばかりを求める。


しかも、次第に、予測できるものしかやらないようになる。


意識して、予測できないことをやっていなければ…


けど、予測できるものばかりやるというのは、実際のところ、自分のためにはならない。


なぜなら、予測できるものというのは、経験しているものがほとんどだから。


何の努力をせずとも、今の自分の力でもやれることばかりだから。


今ある環境の中での安心を得るだけなら、これでも良いかもしれない。


でも、今の環境に留まり続けることになる。


今よりも、広い環境に飛び出すことができなくなる。


今いる環境に染まり、今いる環境が自分のすべてになる。


ゆえに、ますます予測できるものしかやらなくなる。


予測できないものは、選択肢から排除するようになる。


すると、どうなるのか。


それは、今と同じような時が流れていく。


毎日、同じようなことをして、同じ人ばかりと会う、という刺激が少ない生活を送ることになる。


予測できることばかりしていると、自分自身の能力はドンドン衰えていく。


なんせ、何かが起きた時、何もできなくなるから。


変化への対応力や、物事の柔軟性、機転を利かせる力といったものが、次第に失われていく。


こういった力を伸ばすことが、自分の可能性を広げ自分自身を大きくするというのに…


そして、力を伸ばすには、実際に使う必要がある。


力は使うからこそ伸びるのであって、使わなければ衰えていくばかり。


なのに、変化への対応や物事を柔軟性に考えること、機転を利かせるということは、日常では経験する回数が少ない。


そのため、次第に、こういったことを肯定的にとらえることができなくなってしまう。


非日常的なことと認識し、遠ざけるように、避けるようになる。


だから、ますます、予測できるものばかりをやるようになる。


今、安心を実感できるものしかやれなくなってしまう。


今いる環境に染まることで、楽な環境で過ごすことで、人としての力は、自分が思っている以上に衰退している事実。


何気なく過ごすことで、自分の中にある本能的な部分を刺激する機会が激減する。


よって、本能的な感覚が鈍化していくんよね。


本能的な感覚が鈍化することで、自分自身の人間力も失われている。


いや、自分自身の人間力が失われるような生活をしているのであろう。


なぜなら、便利な生活にうつつを抜かしているから。


自分の本能的な部分に刺激を与えなくても、何の問題もなく過ごすことができてしまう。


ゆえに、あえて本能的な感覚を鍛えようとはしないんよね。


ただ、本能的な部分を無視して生きていると、本能的な感覚が鈍化するため、正しい判断が下せないようになっちゃう。


なんせ、何が安全で、何が危険かという判断の基準がおかしくなるから。


今いる環境で、予測できるものしか安心・安全を感じることができなくなってしまう。


やったことがないものをすべて、危険なものとして判断して遠ざけてしまう。


怖れる必要がないものも怖れ、自分の選択肢が狭まるんよね。


よって、余計に今いる環境に留まり続けようとする想いが強まる。


今いる環境だけを見て、その範囲内だけで考え動くようになる。


今いる環境に長くいればいるほど、その傾向は強く現れる。


人は、今いる環境に、一つの環境に留まることこそ、安心安全を得ることができる手段として思い込んでしまう。


そして、今いる環境から離れることを、危険なこととしてとらえてしまう。


たとえ、今いる環境が危険になることが分かっていても。


よっぽどのことがない限り、今ある安心安全を絶対的なものとして決めつけ、そのまま過ごしてしまう。


そのため、いつまでも今の環境に留まり、今の環境から離れようとはしなくなる。


離れるということを意識しなくなり、離れるための行動を選択肢から排除する。


こういったことが、予測できることばかりをやる一つの結果なんよね。


今ある安心安全が半永久的に続くものであれば、何も考えずに今に留まることだけを考えても大丈夫だろう。


だが、半永久的に続く、安心安全なんてものは存在しない。


むしろ、今ある安心安全は半永久的に続くものではない、とあらかじめとらえておいた方がよい。


その方が、自分自身が、人生に対して、肯定的に積極的に生きることができる。


今ある安心安全が崩れない内に、新たな安心安全をつかむことだってできる。


ゆえに、普段の日常から、予測できないことや未知なるものをやることが大事なんよね。


だって変化しやすい状況を作ると共に、変化できる種を自分の中に蒔くことができるから。


完全に留まっている状態であればあるほど、動くことに膨大な時間を要する。


何も種が蒔かれていないのなら、芽が出るまでに多くの時間を要する。


いざと言う時に、すぐ動ける準備だけはしておいた方が良い。


その方が、長いスパンで、自分の安心安全を保つことができる。


楽しい人生を歩むことができる。


そもそも、今ある環境は絶対的なものではないし、すべてではない。


自分次第で、いくらでも、環境は変えることができるもの。


留まることなく、動き続けていれば…


より良い環境を常に求めながら生きていれば…


自分の最大を意識して生きていれば…


どんな人だって、今が、完璧な姿ではない。


まだまだ可能性は秘められており、伸びしろはたくさんある。


そして、自分の可能性を広げるために、予測できないことや未知なるものを日頃から取り入れることが重要なんやで。


なぜなら、こうしたことが、自分の本能的な感覚に刺激を与え、人として大きくなることができるんやから。


案外、そんなもの。



サコヤンの独り言

「予測できないことや未知なるものを、日頃から取り入れよう」