当たって砕けろ、という言葉がある。
上手くいかなくても構わないから、思いっ切りよくやった方が良い。
といった状況で使われる。
だが、思いっ切りよくやった方が良いと頭ではわかっていても、上手くいかないことを怖れて、思いっ切りよくやれないことは多い。
無意識の内に、やって前に進むことより、上手くいかずに傷つくイメージを先に抱いてしまう。
当たって砕けろ、という言葉は、失敗を受け入れている人がやれることなんよね。
砕けても大丈夫。
砕けても構わない。
砕けても、それはそれで良い。
と思えている人が、やれること。
けど、失敗を受け入れることができていない人は、当たって砕けろと思ったところで、誰かに言われたところで、当たることは少ない。
思いっ切りよくやるケースは少ない。
じゃなきゃ、草食系男子と呼ばれる人が増えるわけがない。
砕けることを怖れ、砕けることを受け入れることができなくなると、自ずと積極性を失っていく。
自ら働きかけることはなくなっていく。
受身の姿勢が確立してしまう。
ただ、砕けることを怖れている人は、大きな勘違いをしている。
なぜなら、大概のことでは、当たったくらいでは砕けはしないから。
上手くいかないことイコール砕ける。
ということにはならない。
だって、上手くいかなかったからといって、自分の精神が壊れたりはしないから。
自分の精神が壊れるほど、何かにぶつかる人は滅多にいない。
普通に生きていて、瞬間に自分のすべてをかけて取り組むことってそうあるものではない。
大げさに考えているだけなんよね。
失敗することが、すべての終わりのようにとらえてしまって。
でも、失敗したからといって、命を失うことは、人生で一度あるかどうか。
日本に生きる人にとって、一度もない人の方が多い。
なんせ、どんな失敗をしようと、失敗した後も命は続き、その時から未来に向かって生きているから。
もし、本当に砕けるのであれば、当の昔に、何かの失敗をした時に命を失っている。
生きていれば、多くの失敗を経験するのは当然のこと。
だが、失敗を山ほど経験しているにもかかわらず、今をちゃんと生きている。
これこそが、当たっても砕けないことの証なんよね。
なのに、いつしか、失敗することを、傷つくことを「砕ける」という言葉で言い換えてしまっている。
些細なことであっても、重い言葉に言い換えると重く感じるもの。
どうってことないものであっても、重いものとしてとらえると、自分にとって重いことが事実になってしまうもの。
どうとらえるかなんてのは、しょせん自分のイメージでしかない。
自分の心が感じていることによって、いかようにもなる。
自分の心がやりたいと感じると、失敗することを軽く感じるだろう。
自分の心がやりたくないと感じると、失敗することを重く感じるだろう。
普段から傷つくことを怖れている人は、失敗することを遠ざける傾向がある。
失敗しないためにも、行動さえもやらなかったりする。
失敗したくない人にとって、行動したら砕ける、というイメージは好都合なんよね。
だって、これを理由にやらないことを正当化することができるから。
やらなければ、失敗する可能性を非常に低くすることが可能。
だから、やらないことで失敗を避けている人にとって、当たっても砕けない、という言葉は弊害でしかない。
この言葉がまかり通ると、やる状況へと進み、芳しくない。
ゆえに、当たって砕けろという言葉を自分なりに大事にしていたんよね。
ただし、砕けることは怖いから、砕けるくらいなら初めからやらない方が良い、という自分の都合に合った解釈を持った上でだが…
そもそも、人に備わっている力は素晴らしく、ちょっとやそっとのことでは、砕かれはしない。
心が折れたりはしない。
精神が崩壊したりはしない。
単に、傷つくのは嫌だからという理由で遠ざけているだけ。
面倒くさいことはやりたくないという理由で避けているだけ。
今までをこうして生きてきたため、この生活に慣れ当たり前と感じているにすぎない。
しかも、この生き方しか知らないため、他の生き方を警戒し今までの生き方に固執しているにすぎない。
世の中には、様々な生き方があり、決して一つではないというのに…
いつしか、一つしかないように刷り込まれている。
傷つくことはいけないもの、失敗するのはいけないもの、と育つ過程で植えつけられてしまう。
自分でも気づかない内に。
だから、行動することを怖れるようになってしまう。
行動することを控え、現状維持に励もうとしてしまう。
ゆえに、失敗しても構わないと思うことができずに、思いっ切りよく行動ができなかったりする。
頭のどこかで、失敗し、傷つくことを怖れてしまっていて…
何をしようと、完全に砕ける人は滅多にいない。
これを実感できる人ほど、行動に対して抵抗がなく取り組むことができる。
そして、次々と新たな行動を重ね、自分の経験値を増やしていくことができる。
上手くいかないことが起きても大丈夫、とあらかじめ受け入れることができると人としての幅が広がるんよね。
いかに早く、当たっても砕けないことを知り、何度でもやり直すチャンスがあるかを理解するかによって、人生は全然違ったものとなる。
本来は、必要以上に行動することに怖れる必要はないもの。
上手くいっても上手くいかなくても、大概は、どうにかなるものだから。
自分自身が壊れるほど、どうにもならないことが起きる方が確率は低い。
そのため、ノビノビとやれば良い。
これが、自分にとって最良の手段なんやから。
案外、そんなものなんやで。
サコヤンの独り言
「当たっても砕けないため、大概のことなら思いっ切りよくやれば良い」