変に思われて良い。


と思えている人がどれほどいようか。


おそらく、あまりいないのではないか。


なんたって、人は変に思われることを嫌う傾向があるから。


おそらく、多くの人が小さい時に、こういった価値観を築いている。


小学校から高校まで通う間に、自然と身につけている。


なんせ、学校教育では、自分を抑え、周りに合わし、周りと同化するように振る舞うことを求められるから。


自分を主張したり、自分を表現することはさほど求められていない。


ゆえに、いつしか、人と同じことをするのが当たり前になる。


そして、人と同じことをしなければならないと思い込む。


人と違うことをしてはいけないと思い込む。


小学校から高校を卒業するまでの12年の間にこういった価値観が強烈に植え込まれる。


だから、あえて疑うようなことはしない。


当然なこととして、培った価値観に基づいて行動する。


そのため、大人になっても、小さい時と同様に自分を抑え、周りに合わし、周りと同化するように振る舞う人はたくさんいる。


だって、こうすることが、集団生活を送る上では有効的な手段だから。


集団生活において、各々が好き勝手に自分を主張したり、表現するとまとまるものもまとまらなくなる。


集団で生活するのなら、個は前面に出さない方が良い。


自然とこうしたことを学び、自分のものとする。


そのため、周りの人と同じように生きることが当たり前として生き続ける。


この価値観に疑いを持って手放すまでは…


ただ、多くの人は、手放さないため、小さい時と同様な価値観に基づいて生きてしまう。


あまり意識されていないことだが…


もちろん、自分を抑えたり、周りの人と合わせたりするのは、集団生活では活きることは多い。


だが、この価値観は、個というものをおろそかにするんよね。


ゆえに、個を活かそうとする時に、とてつもなく邪魔なものとなる。


なぜなら、個を活かそうとする時というのは、大概、人と違うことをすることだから。


人と違うことをしてはいけない。


人と同じことをしなければならない。


という価値観が基づいている人にとっては、禁止事項。


受け入れることができていないもの。


だから、やろうとすれば、強い抵抗を感じる。


しかも、強いストレスも感じる。


人と違うことをしてはいけない、人と同じことをしなければならない、という価値観が、個を生かそうとする想いに蓋をする。


よって、個を活かそうとする想いは、くすぶってしまい形にならない。


小さい時に築いた価値観が、今の自分の想いの実現の妨げとなる。


残念ながら、こういったことが、普通に起きている。


多くの人の下で起きている。


やりたいことがあるのにやれない時、その原因の多くは、過去に築いた価値観にある。


もしくは、思いこみや決めつけにある。


このことに気づき、解放しなければ、いつまで経ってもやれないもの。


だって、過去に築いた価値観が今の自分の想いに蓋をしているから。


想いが外に出ないようになっている。


想いが外に出ないため、想いが行動につながらないようになっている。


ゆえに、まず、過去に築いた価値観に気付き、価値観を修正する必要がある。


個を活かして新たなことをしようとしているなら、過去に築いた、人と違うことをしてはいけない、人と同じでなければいけない、という価値観を手放し修正する必要がある。


すると、個を活かそうとする想いを閉じ込めている蓋が取れ、個を活かす行動を取ることができるようになるから。


ただ、個を活かす行動を取ろうとすると、人と違う行動をする必要があるが、その祭、人からは変に思われることをきちんと受け入れること。


なんせ、人と違うことをすると、大概、人からは変に映り変に思われるから。


人と違うルートを歩む上で、避けては通れないこと。


変に思われることが嫌で、どうしても受け入れることができないなら、個を活かす道は断念した方が良い。


個を活かし何か新たなことをやるには、当然、それなりの力などは要する。


だが、それ以上に、小さい時に築いた価値観に気づき、手放し、新たな価値観を築くことが重要なのではないか。


どんなに準備をしようと、価値観が小さい時に築いたままなら、始めることもままならない。


しかも、様々なことにズレが生じ、自分が思っていた以上に力を発揮できなくなる。


そのため、小さい時に築いた価値観は修正するよう努めなよ。


なんたって、過去に築き今の自分が気づいていない価値観が、前に進む大きな妨げになっていることはよくあるんやから。


価値観を修正できないことで、いつまでも足止め状態になってしまうことはよくあるんやから。


そもそも、人は皆違う。


だから、同じである必要はない。


ひょっとすると、各々違うことをすることが、本来の姿なのかもしれないんやから。


人と同じではないからといって、人と違うことをするからといって、それが即刻変になるというわけではない。


単に、変と思う人がいるだけ。


変と思う人が大勢いたところで、それが唯一の答えになるわけではない。


答えは色々あって良いし、進む道も色々あって良い。


人と異なるのも一つの個性。


それは、自分にとっては正しい道。


たとえ、人に何と思われようとも。


人がどうとらえようと気にすることはない。


しょせん、人は、自分の人生を代わりに生きてくれるわけではないんやから。


人に変に思われるのが嫌だから、というつまらない理由で志を閉ざすと、生涯後悔することになる。


どうせなら、変と思われても、好きなことをやった方が良い。


そうする権利は、誰にだってあるんやで。


小さい時に築いたつまらない価値観で、今ある想いを閉ざすようなことはしたらアカン。


そのため、小さい時に築いた価値観が、今の想いに合わないのなら、極力、修正するよう努めなよ。


今の想いに合うような価値観に修正しなよ。


時代が変われば、それによって、適する価値観も変わるんやから。



サコヤンの独り言

「変と思われる覚悟で、好きなことをするのも、人と違うことをするのも立派な道の一つ」