断られることに関してどうとらえるのか。


すごく大事。


だって、どうとらえるかによって、行動が大きく変わってしまうから。


断られることを嫌に感じる人はたくさんいる。


確かに、決して良いと感じるものではない。


だが、拒むことでもない。


なんせ、断られることって、生きていると度々起こることだから。


自分だけ、特別に起きることではない。


多くの人に起きていることだから。


それに、断られたからといって、自分に価値がないわけではない。


自分が必要ない存在というわけではない。


自分が完全に否定されたわけではない。


なぜなら、すべての人に判断されたわけではないから。


自分を断った人は、世の中を見ると、しょせん、ほんの少しの人に過ぎない。


少ない人に断られたからといって、自分の価値が低い証というわけではない。


単に、縁が薄かっただけ。


相手に自分の魅力が伝わらなかっただけ。


相手の人が、自分の魅力に興味がなかっただけ。


相性が悪い人に出会ったからといって、その人の評価がすべてではない。


世の中には、相性が良い人もいれば、相性が悪い人もいる。


自分のことを高く評価する人もいれば、自分のことを低く評価する人もいる。


自分と親しくなれる人もいれば、どうしても親しくなれない人もいる。


自分が生きている世界には、様々な人がいる。


ゆえに、広い視点で世界をとらえなよ。


小さな部分だけに注視して世界をとらえると、それがすべてのように感じてしまうから。


自分の都合が悪いように世界をとらえると、それが事実として思い込んでしまうから。


ゆがんだ世界を、正しいものとして決めつけてしまうから。


すると、自分は必要ない存在だから断られたんだ。


自分は価値がない存在だから断られたんだ。


自分の人格は通用しないから断られたんだ。


といったように、自分を卑下し、自分に対して自信を抱くことができなくなってしまう。


自分で自分を認めることができなくなってしまう。


断られて嫌な想いをすることを怖れ、何もできなくなってしまう。


縁が薄い人のチッポケな評価によって、自分の評価を自分で下げる。


すごくもったいない。


そんなことをしても、意味がないし、自分のためにならない。


鵜呑みにするだけ無駄。


自分は自分で、唯一の存在。


この世には、自分のことを評価してくれる人がいる。


自分のことを認めてくれる人がいる。


自分の価値を見抜いてくれる人がいる。


こうして、自分のことをとらえていたら良い。


ただし、自分を認めてくれる人に会うには、自分自身が動き続ける必要がある。


自分自身を高め続ける必要がある。


なんたって、今の自分でも認めてくれる人は、どこかにいるであろうが、その人を見つけるには、自分自身の行動が欠かせないから。


探す行動、会いに行く行動、といったものを要する。


ただ、自分の力が高くなるにつれ、自分を必要としてくれる人に、自分を認めてくれる人に会いやすくなるのはまちがいない。


なぜなら、自分の力が高くなると、自分の魅力が人に伝わりやすくなるから。


自分の需要が高まるんよね。


だから、大切なのは、自分のことを認めてくれる人に出会えるよう動き続けること。


断られたからといって、落ち込むことではない。


自分を卑下することでもない。


諦めて、動きを止めることでもない。


なんせ、断られることは、日常においてあることなんやから。


今の自分を認めてくれる人を探すか。


成長して認めてもらえるような自分になるか。


自分自身をプロデュースする感覚を持ちなよ。


人生は、断られたからといって、断られ続けたからといって、そこで終わりではない。


そんなことで人生は終わらないし、終わらせる必要もない。


たとえ、都合が悪いことが起きようと、命は続き、人生は続く。


なのに、放棄してしまうと、諦めてしまうと、そこから先は、良いことが滅多に起きやしない。


周りが悪いわけでもなく、世間が悪いわけでもない。


こういう生き方を選んだ自分に大きな原因がある。


もちろん、人には好みもあるし、相性もあるから、断られることは何度もある。


だが、ずっと断られ続けることは非常に難しい。


なぜなら、分母の数が少なくて認められるのは、能力を要するが、分母の数を増やしていけば認めてくれる人に出会えるものだから。


しかも、分母の数を増やしていく間に、様々なことを学ぶものだから。


学びながら、出会う人を増やしていけば、自分を認めてくれる人に必ずといって出会える。


重要なのは、自分のことを認めてくれる人に出会えるまで動き続けること。


それまでの間に、何度断られようと、諦めずに行動し続けること。


自分のことを認めてくれる人にきっと出会えると信じ続けること。


自分の主張や頼みを断る人は、何人もいるが、その評価がすべてではない。


断る人は当然いるし、断る人とは縁が薄いんだ、と軽くとらえれば良い。


断った人の評価をすべてと思い込むと、その状態から、中々、脱け出せなくなるから要注意。


とにかく、今の自分を認めてくれる人もいるし、成長した自分を認めてくれる人はきっと現れる。


断られたからといって、重くとらえる必要はない。


必ず、自分に合う場所、合う人というのは誰にだってあるものだから。


それを見つけるために、精一杯動き続ければ良い。


動き続ける人は、時間がかかろうとも、大概、見つけるものなんやで。


案外、そうなっている。


不思議なことなのだが…



サコヤンの独り言

「断られたからといって、そこですべてが終わるわけではない」