やることが当たり前。
こういう心境になればしめたもの。
なんたって、強く意識しなくとも自ずとやるようになるから。
しかも、集中してやる。
意識してやろうとする間は、ちゃんと受け入れることができていない。
生活の一部分として組み込まれていない。
だから、まずは生活の一部分としてやることが当たり前の状況を作り上げること。
この状況を作り、習慣にすると、次第に生活の一部分となる。
誰かに言われなくとも、強く意識しなくともちゃんとやるようになる。
それに、やらなきゃなんだか落ち着かなくなる。
こういう状態になると、無理することなく継続することができる。
継続してやるから、着実に力をつけ成長できる。
ゆえに、意識してやることが当たり前というリズムを作るんやで。
なんせ、分野は違えど第一線で活躍している人ほど、やることが当たり前という考えを持ち実際にやっているものだから。
他人からは頑張っているように映っても、当の本人は頑張っている意識を持っていない。
やることが当たり前で、求められているものに応えるためには、期待に応えるためには、やることが当然という意識を持っている。
そのため、意識レベルがものすごく高い。
自分に限界を設けることなく、常に上を目指している。
そして、次から次へと上のステージへと移っている。
「やろう」という想いを持つこと、「頑張ろう」という想いを抱くことは素晴らしい。
だが、こういった想いは、実は、ちゃんと受け入れることができていないから抱くことなんよね。
しっかりと受け入れることができているなら、こうした想いを抱くことなく、当然のようにやっている。
「やろう」と想ってやるのか。
やることが当たり前だからやるのか。
ものすごく些細な違い。
だが、この些細な違いが、結果に大きな差を生んでしまう。
なぜなら、意識のレベルが全然違うから。
「やろう」と想うのは、自発的で素晴らしいのだが、無意識の内に抵抗を感じている。
同じ自発的でも、やるのが当たり前という意識を抱いている人とは次元が違う。
ただ、最初からやることが当たり前、という意識を持ってやれる人ってあまりいないんよね。
最初から、持てている人は、類稀なる力を持っている人。
何もせずとも、自分の役割や使命を理解している人。
そんなのは、滅多にいない。
多くの人は、やることが当たり前、という心境にまで至っていない。
やる必要があるからやる。
やれ、と言われたからやる。
やらなきゃ、周りに迷惑をかけるからやる。
そういった状況の人が多いのではないか。
だって、やることが当たり前、という心境になる方法を知らないから。
では、どうしたらやることが当たり前、という心境になれるのか。
それは、自分のことをしっかりと理解すること。
そして、理解した上で、目の前のことをとらえること。
すると、自分は何がしたいのか。
自分はどういった方向に進みたいのか。
何を目指し、今何をしたら良いのか。
こういったことが分かるようになるから。
やることが当たり前、という心境になれている人の多くが、自分を理解している。
しかも、自分のビジョンが明確になっている。
自分の現在地と目的地と、方向性をちゃんと認識している。
だから、やることが当たり前、という心境になれ、今必要な行動に取り組むことができているんよね。
変に疑うこともためらうこともなく…
また、不安や怖れを抱くこともなく…
自分を理解しているから、自分の感情をもコントロールすることができている。
感情が乱れれば、やることもままならない。
やることが当たり前なんて夢のまた夢の先。
ただ、感情をコントロールすることって、自分が想っている以上に難しい。
なんせ、チョットしたことで反応し、感情は揺れ動くから。
コントロールしようと想ってできるものでもない。
ゆえに、自分を知り、自分を理解する必要があるんよね。
なぜなら、これは、自分の感情をコントロールするにおいて、有効な手段の一つだから。
やることが当たり前、という心境になるには、それ相応の準備をする必要がある。
もちろん、一朝一夕にやれるものではない。
だが、やる価値も、やる意味も十二分にある。
なんたって、自分の人生に大きな影響を与えるようになるから。
実際にやれるようになれば、今とは全然違った人生を歩むことができるようになる。
これほど、素晴らしいことなんよね。
やることが当たり前、という心境で取り組むということは…
こういうことを、自覚しながら日々を過ごしなよ。
自覚するだけでも、全然違うから。
サコヤンの独り言
「やることが当たり前、という心境にできる限り早くなりなよ」