自分の人生において、自分がやる、という感覚は強く持っておいた方が良い。
なぜなら、大切なことであればあるほど、やるのは自分だから。
もちろん、何かある度に、仲間も家族も助けてくれる、応援してくれる。
だが、周りができることなんて、せいぜいこれくらい。
これが限界なんよね。
助けることができるのも、応援することができるのも、しょせん、表面上のことでしかない、上っ面のことでしかない。
どんなに助けてもらおうと、応援してもらおうと、結局、最後は自分がやるっきゃない。
だって、周りの人が、すべてやれることなんてないんやから。
特に、自分の人生においての節目の出来事は。
周りの人は、受験のサポートをすることはできるが、代わりに受験を受けるわけにはいかない。
これは、就活においてもいえる。
何においても、周りがやれることには限りがある。
ゆえに、大切なことほど、自分がやるっきゃない。
ただ、自分がやるっきゃないと頭では分かっていても、腑に落ちていない人は結構いる。
なぜなら、人に頼り、誰かに依存し、自分がやらなくても何とかなるだろう、といった甘い想いを無意識の内に抱いているから。
現に、今までなんとかなっているんよね。
そないに努力をしなくとも…
一生懸命にやる素晴らしさを知らずに何とかなってきた人ほど、自分がやる、という想いが弱いもの。
今までなんとかなってきたから、誰かが助けてくれていたから、今後も大丈夫だろう、とタカをくくってしまう。
人生を甘くとらえてしまって…
ただ、人生を甘くとらえると、よっぽど卓越した力がなければいずれしっぺ返しをくらう。
しかも、しばらくの間、世界を甘くとらえた人生観は、中々、直るものではない。
どうしても、甘くとらえた人生観を引きずってしまう。
本気で、自分を変えるつもりで生きることを選択しなければ…
いつもいつも、人に頼っていては、誰かに依存していては、肝心の時に一人でやれなくなる。
一人でやる必要がある時に、誰かを探し、なんとかなるだろう、と甘い考えを抱くことも。
でも、誰もいないし、なんともならない。
自分がやらなければ…
自分がやる意思を持って、向かっていかなければ…
覚悟を決めて、挑まなければ…
まずは、自分がやる癖を身につけること。
自分ではどうにもならなかったり、人の力が必要と分かった時点で人の助けを借りること。
普段から何でもかんでも、人の力を借りていると、それが癖になっちゃう。
すると、自分の人生だというのに、自分で切り拓けなくなっちゃう。
誰かの力を借りなければ、自分の人生を切り拓けなくなっちゃう。
だか、いつもいつも、自分の人生を切り拓く助けをしてくれる人なんていやしない。
なぜなら、その人にも、その人の人生があるから。
他人のことばかりにかまっているわけにはいかない。
だから、自分の人生は自分で切り拓く力を身につける必要があるんよね。
そのためにも、大概のことは、まずは、自分でやること。
助けてもらうのであれば、やってもらうのではなく、やり方を教わること。
答えを教えてくれそうになったら、わざわざ、「自分からやり方を教えてください」と頼むこと。
じゃなきゃ、いつまで経っても、その人の助けを借り続けることになっちゃうから。
次第に依存することになっちゃう。
頼る癖を止め、人に依存することを止める。
ものすごく大事なこと。
なぜなら、無意識の内に、誰かに頼ろうとし、依存しようとしているから、自分がやるんだ、という想いが弱くなっていくものやしね。
そして、自分がやらなくともなんとかなるだろう、という考えにつながる。
結局は、何もできない自分が出来上がる。
こんなのは、誰も望んで形成するものではない。
でも、形成されている事実。
なんとも、歯がゆい感じがするね。
一体、どうやって、形成されたのか。
それは、自分が楽をしたことから始まっていることが多い。
人を頼り、人に任せ、自分はやらない。
面倒なことは誰かに任せ、自分がやるのは楽なものばかり。
そうやって過ごしていると、自分では、何もやらなくなっちゃう。
いや、何もやれなくなっちゃう。
なんたって、無意識の内に、自分からやる必要はない、という考えがインプットされてしまうから。
このインプットされた考えを手放さない限り、自分一人では何もやれなくなっちゃう。
いくら、意識してやろうとしても。
なんせ、無意識に抱いている想いが、強力なブレーキとなっているから。
強力なブレーキがある内は、何もやれないまま時が流れていく。
ただ、この無意識の内に形成したブレーキというのは気づきにくいものなんよね。
だって、知らず知らずの内に抱いた想いだから。
当たり前のように繰り返した行動によって抱くことになった想いだから。
何かキッカケがない限りは、意識できるものではない。
それが厄介なんよね。
けど、自分と向き合い続けていると、ちゃんと気づけるようになる。
たとえ、時間がかかったとしても…
自分がやる、という想いが弱いのは、生きる上で、結構な致命的。
だからこそ、自分がやる、という想いが強いかどうかを一度確認することをお薦めする。
なんせ、もし、弱ければ改善した方が良いから。
弱いまま過ごすと、自分のことなのに、どこか他人事のように生きてしまうことにもなりかねない。
自分の人生は、自分が当事者としての自覚を持っているからこそ、ちゃんと切り拓いていけるもの。
当事者として生きるから、意識もエネルギーも集中して注ぐことができるもの。
案外、そうなっているものなんやで。
サコヤンの独り言
「自分がやる、という想いを普段から強く持って自分の人生を自分で切り拓こう」