次第に自分を疑うようになる。


もちろん、自ら意識して自分を疑う人はいない。


無意識の内に、自分を疑うような行動を取ってしまう。


自分が経験する失敗によって…


何か、失敗したら、次は、前回以上に強い気持ちで臨む。


また失敗しないためにも。


失敗せずに上手くやれたら、前回のリベンジを果たすこととなり、自信もつく。


だが、前回のことがあるから強い気持ちで臨んだにもかかわらず、上手くいかなかった時、自分を疑う方向に進んでしまう。


失敗が、三回、五回、十回と続けば尚更に。


失敗を重ねるごとに、より慎重になる。


そして、慎重になる分、自分の力を信じることができなくなってしまう。


前に進もうとしても、自分を信じることができずに、ブレーキをかけてしまう。


自分の力を信じることができずに、自分を疑ってしまう。


失敗って、誰もがすること。


けど、失敗した後ってすごく重要なんよね。


だって、失敗というのは、自分の心を傷つける力を持っているから。


しかも、心に傷をつけ、心に傷が残る場合も多々ある。


一つの失敗では、どうもなくても、それが積み重なると、とんでもないものになる。


身動き取れないほどの傷が、心に残る。


自分が、心と向き合い、心の傷を癒すまでは…


でも、そうやっている人は少ない。


だから、心に傷を残し、傷を抱えたまま、大人になっている人は多い。


心に傷を抱えていることによって、自分に制限をかけ続けている人は多い。


当の本人は、気づいていなかったりするのだが…


よっぽど前向きでない限り、失敗に鈍感でない限り、失敗のたんびに心に傷を抱える。


そうやって生きていると、次第に、何もできない状態になってしまう。


ゆえに、失敗したら失敗したで、自分の心を和らげる術や癒やす術を身につけておくことは大事なんよね。


なんたって、これは、道を拓くコツの一つだから。


留まり続ける危険から回避するコツの一つだから。


そもそも、自分で自分を疑う必要性なんてないのに、人は、自分のことを疑ってしまう。


なんせ、人は、感情の生き物だから。


人には、感情があるから、つい、自分を疑うようになるんよね。


感情さえなければ、自分を疑うことなんてないのにね。


人は、失敗が続くと、自分に対して無力感を抱き、自分自身の価値がないように思い込んでしまう傾向がある。


人の価値なんて、失敗したからといって、変わるものではないのに。


人の命は、そんな安っぽいものではない。


なのに、なぜ、こう思い込んでしまうのか。


大きな要因の一つとして、周囲との関係性が挙げられる。


なぜなら、人は誰もが、人との関係の中で生きており、周囲の目が届く場所で生きているから。


そして、周囲の人から良く思われたい、認められたい、という願望を人は備えている。


逆に、周囲の人から良く思われないことを、認められないことをすごく嫌う。


だから、良い結果を出そうとする。


だって、良い結果を出すと、人は褒めてくれ、認めてくれるから。


いつしか、良い結果を出すことが善で、芳しくない結果を出すことが悪という構図が出来上がってしまう。


自分自身の基準が人からの評価になっちゃっているんよね。


ただ、いつもいつも良い結果を出し続けることができるわけではない。


失敗することもあれば、失敗し続けることもある。


けど、上手くいっていない状態で、結果を強く望むと、目先の結果に心が奪われ大事なことを失うことになる。


最悪、強烈に自分を疑うことになる。


こんなことをしても、良いことはほとんどない。


そのため、極力、自分を疑わずに、自分を信じて生きた方が良い。


だが、今、自分を疑って生きている人がいるのも事実。


なんせ、人は、各々育った環境が異なり、経験してきたことが異なるから。


でも、自分への疑いを晴らすことができるのも事実。


なぜなら、疑いの原因となっているものは、解放することができるものだから、


そもそも、疑いは、大概、失敗を経験することによって抱いてしまうもの。


けど、失敗という概念自体が、ある種の思い込みで形成されている。


なんたって、自分の損得勘定を基準にしているから。


何かをして、自分が損をすれば、失敗ととらえている。


テストの問題を解く時のような発想であって、今の自分の都合によって得か損を決めつけているに過ぎない。


ただ、自分の基準を損得勘定ではなく、自分の成長ととらえると、まったく違ったものになる。


だって、良い結果を出せば、より一層前に進めるようになるから嬉しい。


仮に、芳しくない結果を出したとしても、改善点を学ぶチャンスを得ることができたから嬉しい。


良い結果であろうと芳しくない結果であろうと、自分にとってプラスとなる。


すると、悪い結果というのがなくなり、悪い結果という概念が存在しなくなる。


また、すべてが自分にとってプラスとなる素晴らしい結果になるのであれば、失敗という概念そのものも同様に存在できなくなる。


少なくとも、自分の世界では…


失敗もないし、悪い結果もない。


そんな世界で、どうやって自分を疑うことができるのか。


疑うことなんてできやしない。


なぜなら、すべての結果が自分のプラスになるのであれば、どんな結果であろうと受け入れることができるようになるから。


どんな結果をも受け入れる、という前提があると、自分を疑う余地がなくなる。


自分を疑うことなく、自分を信じて生きることができるようになる。


自分の都合による損得勘定で生きると、疑いは次第に強まるが、わざわざ、そうやって生きる必要はない。


だって、もっと楽しい生き方は存在するから。


自分の力や可能性、自分自身を信じて生きるよう心がけなよ。


そうやって生きていると、必ずといって、道は拓けるものだから。



サコヤンの独り言

「自分を疑いながら生きても得ることは少ない」