一つの入り口で方向性は、ある程度定まる。


なんたって、進学校に入学した人は、難関大学に進むという方向性が決まり、それに向けて流れていく。


就職をした時は、就職した企業で多くの時を費やす方向性が決まり、その方向に沿って生きる人が多い。


たった一つ入り口を抜けるだけで、ある程度の方向性が決まってしまう。


次の入り口に出会うまでは…


ただ、新たな入り口に出会うことなく、多くの時を過ごす人もいる。


もちろん、新たな入り口と出会い、今までと違う方向に進む人もいる。


人生において、いつ、新たな入り口がやってくるかは分からない。


いや、やってくるという発想自体が、アカンことなのかもしれない。


だって、やってくるというのは、受身だから。


新たな入り口は、一つの流れに乗りつつ、自らの意志で見つけようとするから、見つかるものなのかもしれない。


なんせ、人生を変えることができている人の多くが、自分自身を磨き続けているから。


成長し続けているから。


何もせずに、新たな入り口を見つけ、新たな方向に進むことなんて滅多にない。


偶然にも、人が幸運を運んできたとしても、それは、自分にちゃんとした準備ができたからなんよね。


何も準備が整っていない人に、幸運もチャンスもやってきはしない。


そういうところは、平等にできている。


不思議なことなのだが…


そもそも、新たな入り口が見つからず、他人を羨ましがっている人ほど、何もしていなかったりする。


自分を高めるということから、遠ざかっていたりする。


だから、いつまで経っても、新たな入り口と出逢うことがない。


そのため、いつまでも、今までと同じ方向性に進み、これまでと似たような生活を続けている。


昨日と同じような今日を過ごし、今日と同じような明日を過ごして。


来る日も来る日も似たような日を過ごす。


もちろん、こういう生き方も素晴らしい。


ただし、ちゃんと自分で考え、自分の意思を貫いているのであれば…


でも、そんな人は稀。


多くの人は、今の自分に妥協をしている。


「こんなものなのだろう」


と思い込んでしまって。


今続いている流れを絶つことなく、流されるように進んでいくことにしがみついている。


固執してしまっている。


無意識の内に。


そして、過去から続いている流れにしがみついたり、固執する原因は、自分の感情にある場合が多い。


なんたって、こういう人ほど、人生を怖れの感情を入り口として生きているから。


小さい時に、たくさんの不安や心配、我慢といったものを抱いてしまって…


もしくは、親がそういう人で、モロに影響を受けてしまって…


どんな感情を入り口にして生きるのかは、すごく大事なこと。


なぜなら、人生にものすごく大きな影響を与えてしまうから。


分かりやすいように、恐れの感情を入り口にして生きるのと、幸せの感情を入り口にして生きることで比較してみよう。


まず、怖れの感情を入り口にして生きるとどうなるかというと、怖れに支配されて過ごすことになる。


何かをしようとしても怖れるし、何かをしたところで怖れにつなげる。


自分にできるのかと不安になる人はたくさんいるし、上手くいったとしても上手くいっている自分を怖れる人もたくさんいる。


何かをしてもしなくても、上手くいってもいかなくても怖れを抱く。


いわば、いつも怖れを感じながら、ビクビクしながら生きることになる。


だが、当の本人は、このことに気づいていない場合が多い。


なんせ、怖れを感じ、ビクビクして生きることが、当たり前と感じているから。


当たり前だから、それが普通として、疑うこともない。


ゆえに、いつまでも、怖れを抱いたまま生きることになる。


一方、幸せの感情を入り口にして生きている人は、幸せを感じ、幸せを増やしながら生きている。


なんたって、何をしていても幸せにつなげようと意識しているから。


どうすれば幸せを感じることができるのかを常に意識しているから。


こういったことが習慣となっているから、目の前のことから幸せを見つけようとするセンサーが鋭くなっている。


センサーが鋭いから、幸せにつながるルートを見つけ、その道を実際に歩む。


だから、やはり、幸せを感じ、幸せを得ていく。


怖れと幸せ、どちらの感情を入り口として進むかによって、人生は大きく変わる。


全然違ったものになる。


ただ、人は、怖れの感情を入り口として生きる場合が多い。


なぜなら、幸せを実感しながら生きている親は少ないから。


幸せを実感している親の姿を見ずに生きる子は多いから。


そのため、怖れの感情を入り口として生きている人は多いんよね。


しかも、その方向性をずっと変えずに生きる人は多い。


ただ、怖れの感情を入り口とし、怖れを抱く流れに沿って生きていても、途中で、幸せの感情に基づいた流れがあることを知る人が現れる。


そして、本気でその流れに乗ろうとすると、自分の目の前に新たな入り口が現れる。


この新たな入り口を通過し、幸せの感情に基づいた流れに乗るかは自分次第。


どれだけ、「今のままではアカン」と思えるかどうか。


どれだけ、幸せを得るルートで生きることを強く望むかどうか。


それによって、自分の行動が変わってくる。


怖れと共に生きるのか、幸せと共に生きるのかは、自分が決めること。


誰かが、とやかく言うことではない。


でも、まちがいなく、幸せと共に生きた方が人生は面白いし充実する。


ゆえに、できることなら、幸せを得ることができるルートを強く意識するようにして生きなよ。


たとえ、今、怖れを抱く流れに乗っていたとしても…


強く望めば、幸せにつながるルートへの入り口が、自分の目の前にも現れるんやから。


そして、幸せにつながるルートを進むことができるんやから。


案外、そんなものなんやで。



サコヤンの独り言

「一つの入り口を通過するとある程度の方向性は定まるが、必ずしも絶対ではない」