人生において、人は、一段ずつしか上っていけない。


一度に一段飛ばし、二段飛ばしなんてできやしない。


中には、そうやって見える人もいる。


だが、それは、周りから見るとそう見えるだけで、当の本人にとっては一段ずつでしかない。


人には、能力や向き不向き、成長力といったものに差があるからどうしても、進むスピードに違いが生まれるもの。


ある人の一段が、他の人にとっては百段くらいの高さに匹敵することもある。


横でアッサリとこなしていくのを見ると、自分自身の無力さを感じてしまうことも。


ただ、周りがどんなスピードで進もうと関係がない。


人は人。


自分は自分。


周りのスピードが気になると、自分自身の進むスピードも狂ってくる。


もちろん、周りの人に引っ張られて、前に進める人もいる。


だが、周りの人に圧倒され、進むスピードが鈍る人もいる。


何も、スピードの速い人に合わせる必要はない。


なんたって、そもそもの性能が違うんやから。


でも、決して諦めてはいけない。


目標を見失ってはいけない。


人は、この世に生を受け、この世から命がなくなるまでずっと、人生という階段を一段ずつ上っていく。


だが、途中で諦めると、目標を見失うと、上ることに意味を感じなくなる。


すると、何気なく日々をこなすようになり、生きていること自体がつまらなくなったりする。


どんなに小さな一歩でも、着実に歩んでいると、確実に前に進む。


これと同じように、どんなに低い一段でも、上り続けると、とんでもない高さになる。


周りの人にとっての一段が高く、自分の一段が低かろうと、何ら気にすることはない。


羨ましがることもない。


だって、人は、その人の人生を生きており、自分は自分の人生を生きているんやから。


人を羨み、自分自身の姿を見て嘆いたところで、何にもならない。


単に、上るスピードが遅くなるだけ。


また、人より速く進めるからといって、後ろにいる人に対して優越感を感じても意味がない。


後ろの人を気にしたって、進むスピードが速くなるわけではない。


そんなことしていると、いずれ、後ろの方にいる人に抜かれてしまうことにもなりかねない。


後ろの方にいる人で、上を目指している人は、着実に一段ずつ上ってくる。


だから、今の力に甘んじている人は、ある時、アッサリと抜かされてしまう。


そして、抜かされて初めて、自分自身の行動に後悔する。


人は、皆違う。


同じ人は、一人もいない。


ゆえに、生まれながらにして、不平等なんよね。


決して、平等ではない。


裕福な家庭に生まれる人もいれば、貧しい家庭に生まれる人もいる。


天から素晴らしいギフトを授かる人もいれば、これといってギフトと呼べるものがない人もいる。


明らかに、スタートにおいて、全然違う。


だが、皆、死に向かって生きることは同じ。


ただ、どうしても差や違いは生じる。


なんたって、人は皆、持っているものが、備わっているものが異なるから。


でも、これは当然なことなんよね。


皆が皆同じだったら、人生自体がつまらなくなる。


違いがあるからこそ、自分を活かそうとうする。


ゆえに、自分の力を活かしながら、着実に一段一段上っていけば良い。


命がなくなるまで、着実に上っていけば良い。


自分自身に過信や妥協をすることなく。


自分自身に過信してしまうと、目の前のことがちゃんと見えなくなる。


自分自身に妥協してしまうと、目の前のことを実物以上にとらえるようになる。


そんなことをすればするほど、上る段数を増やすだけ。


本来、上る必要がなかった段を上る必要が出てくる。


こんなことを繰り返していると、段数だけが増えていき、目指すところへ到達しにくくなってしまう。


ただ、目指すところまでの段数が多い人ほど、その人の血肉となっている。


ゆえに、人に伝えることが上手い。


実体験を基にしているから、人に伝わりやすいんよね。


その一方、元々力を備えている人は、細かな過程を飛ばしているから、人に上手く伝わらなかったりする。


細かな過程を、感覚で乗り切っているから。


こういう人ほど、自分の感覚を人にちゃんと伝えることは、中々、できるものではない。


仮に、簡単にできるのであれば、世の中は、卓越した力を持つ人で溢れている。


だが、実際は、そうではない。


自分のことだけを考えると、速いスピードで一段一段かけ上がっていく方が良いのだろう。


だが、人のことを考えると、膨大な段数があろうと、着実に時間をかけながら上っていく方が良いのだろう。


そして、時間をかけながら上っていく人は、案外、後から来る人を育てるために選ばれた人だったりする。


着実に上っていくからこそ、血肉となり、人に教えることができるようになる。


だから、自分がゆっくりであろうと、気にすることはない。


そこには、何か意味があったりするのだから。


でも、諦めてしまえば、意味そのものがなくなってしまう。


ゆえに、決して、諦めないこと。


そして、諦めずに上り続けること。


すると、自分の役割が何なのか、気づく日がやってくるから。


人は人。


自分は自分。



サコヤンの独り言

「一段ずつ上り続けることで見えてくるものがある」