人生を自分事でとらえる。
ものすごく大事。
なんたって、人生を自分事にとらえて初めて、新たな人生が幕を開けるから。
人生を自分事として生きるまでは、自分の人生だというのに、自分の人生ではないような感じがする。
何か、借り物のように、他人の人生のように感じることもある。
不思議じゃよね。
自分の人生だというのに、ちゃんと自分事としてとらえていなかったりするんやから。
おそらく、適当に生きているから、何気なく生きているから、流されるように生きているから、こう感じたりするのだろう。
本気で生きていれば、今を生き切っていれば、情熱を注いでいれば、他人事のように自分の人生を生きることはない。
だが、今は、自分の人生を他人事のように生きている人は、意外と多い。
これは、就活をしている人に、顕著に現れている。
就活は、人生の分岐点になるターニングポイント。
けど、イベントに参加するように、気楽な感じでやる人は多い。
自分のことなのに、自分事としてとらえることができずに、就活をやったりもする。
ただ、よっぽど能力が高くなければ、他人事のように就活に臨んでいると、中々、良い結果は期待できないであろう。
いかに自分事としてとらえて臨むかが、肝心なポイントとなる。
あまり意識されないことだが…
方法論ばかりに目がいき、自分事としてとらえる重要性に気づかない人はたくさんいる。
そして、気づかない人は、就活に苦戦する傾向があるのではないか。
なんだか、そんな気がする。
でも、こうしたことは、就活をしている人だけに言えることではない。
社会人にも似たようなことが言える。
学生を卒業すると社会人として働く人は多い。
最初の頃は、分からないことも多く、試行錯誤しながら、自分のポジションを確立しようと自分事として動く。
しかし、これが、いつまでも続くというわけではない。
もちろん、続く人もいるが、続かない人も多い。
おそらく、続かない人の方が多いのではないか。
だって、環境や組織に慣れてくると、全力を出さなくともやれるようになるから。
手を抜いても、楽をしても、ある程度の結果を出せるようになる。
真剣に作業に取り組むよりも、こなすようにして作業に取り組むようになる。
そうこうしている内に、人生を自分事のようにとらえる想いが薄まっていく。
組織に入るまでや、入った最初の段階では自分事のようにとらえていたにもかかわらず…
人生は、自分事としてとらえると、自ずと大きな変化が生まれる。
自分事としてとらえ、何も変化が起きない。
とは、考えにくい。
なんせ、自分事としてとらえた途端に、意識や想いが変わり、行動が変わる。
行動が変わっているのに、今までと同じ。
というのはありえない。
ただ、人生を自分事として生き切ることは、皆が皆簡単にやれるものではない。
なぜなら、世の中にはやれていないひとはゴマンといるから。
しかも、今の自分が人生においてどういった立ち位置で、社会においてどんな立ち位置か把握していない人は多いから。
腑に落ちていない人は多いから。
自分という人間の現在地を自分なりに理解しておく必要がある。
ここがあやふやだと、自分事として生きることはままならない。
きっと、自分事として生きようとしても、定まることはないだろう。
そして、定まらないから、他人事のように生きてしまう。
こんなことが、至る所で普通に起こっている。
自分で自分の立ち位置に気づくことができる人は、自分を客観的に見る能力が高い人なのであろう。
だが、皆が皆、そういった高い能力を備えているわけではない。
その上、備えていなくても、備えている人と様々な場面で勝負をする機会は、生きているとたくさんある。
そこで、何も工夫しなければ、アッサリと勝負は負けてしまう。
では、どうしたらいいのか。
それは、客観的にとらえることが上手い人と話をすること。
こうして、誰かに気づかせてもらうこと。
誰かの力を借りて気づいても、全然問題はない。
だって、人の力を借りることができるかは、立派な力だから。
何も、自分一人ですべてをやる必要はない。
得意な人に補ってもらうことも、素晴らしい手段。
なんせ、社会では、優れた能力を持っている人よりも、人の力を活かせる人の方が重宝されるものだから。
自分一人で、自分の人生を自分事として生きることができる人は、その調子で生きたら良い。
自分一人で、自分の人生を自分事として生きることができない人は、誰かの力を借りて自分事として人生を生きたら良い。
どんな手段を使っても構わない。
とにかく、自分事として人生を生きることができさえすれば…
なぜなら、人生を自分事としてとらえれば、高い確率で人生に変化が生まれ、より一層楽しく過ごすことができるものだから。
何はともあれ、自分事として人生を生きなよ。
サコヤンの独り言
「人生を自分事としてとらえて生き切ることで、人生は一変する」