今日で最期ならどうする。
今日で命がなくなるならどうする。
死を考える上でもってこいの問い。
仮に、今日で最期として、一体どれほどの人が特別なことをするだろうか。
おそらく、そんなにいないのではないか。
なんたって、いきなり今日で最期になったとしても、何か特別なことが浮かぶものではない。
きっと、普段と同じような行動を取るだろう。
当たり前のように…
ただ、行動は同じであっても、気持ちの面では大きく異なるのではないか。
なんせ、悔いが残らないよう、一分一秒を大切に扱うようになるはずだから。
心を込めて行動に移す、その繰り返し。
そうやって、時が流れていくような気がする。
普段と違うことをするとしたら、人に対して感謝の気持ちを伝えることであろう。
出会えたことの喜びを正直に伝え、今までの関係性に感謝を示す。
今日命がなくなるからといって、焦って何かをする必要はない。
だって、焦って何かをしたところで、していなかったことに意識が向き命がなくなることに後悔してしまうから。
後悔して命を落とすよりも、納得して命を落とした方が良い。
では、どうしたら、納得して命を落とすことができるのか。
それは、一分一秒を大切にして今日を過ごすこと。
これを繰り返す人生を送ること。
すごく単純。
だが、あまりにも単純すぎて、多くの人が見逃している事実。
たったこれだけで、納得した状態で命を落とすことができる。
でも、日常生活で、これをするとなると、中々、上手くいくものではない。
なぜなら、一分一秒を大切にしようとする想いが弱いから。
どうしても、命は続くものととらえてしまう。
現に、今まで命が続いているから。
続いてきた命が、今日でなくなるとは、考えにくい。
やはり、現実的ではない。
だからこそ、「今日で最期ならどうする?」という問いを、何度も何度も自分に投げかける必要があるんやで。
投げかけた時点では、ちゃんと死について考えるから。
もちろん、一回考えたくらいでは、どうなるものでもない。
けど、何度も何度も考えていると、真剣に、死について考えるようになる。
人は、終わりを意識するからこそ、逆算をして今を本気で生きることができるもの。
終わりを意識しなければ、どうしても、気が緩んでしまう。
今日やれることでも「明日やればいいか」と思ってしまう。
そして、やることがドンドン後に延びてしまうことに…
これでは、今を本気で生きることはできない。
だって、昨日やるべきことを今やっているんやから。
今大切なことは今やる。
それが大事。
この積み重ねが、自分自身を大きく成長させる。
ゆえに、今を本気で生きるためにも、期限を設けることは有効な手段なんよね。
なんたって、人は、期限がない頼みごとよりも期限がある頼みごとの方が真剣に取りかかるものだから。
ただ、仕事のように、あらかじめ期限が存在するものであれば良いが、人生を生きていく上では、いついつまでに何かをしなければいけない。
というものは、存在しない。
だからこそ、気が緩んでしまう。
こうならないためにも、自分で自分に期限を設けることが大事なんよね。
真剣になるような期限を。
そこで、力を発揮するのが、「死」という絶対的な期限。
これは、誰にだって当てはまる。
なんせ、人は、皆が皆、死に近づいて、時を刻んでいるから。
でも、平均寿命で考えると、あまりにも漠然し過ぎていて効果は薄い。
よって、今日といった近日中の死を仮定として考えることをお薦めする。
近日中に死が訪れると分かっていて、適当に生きる人は少ない。
そんなことができるのは、かなりの大物。
多くの人は、残された時間を精一杯使おうとする。
これが普通。
だって、最期の最期で悔いを残したくないから。
今までがどんな人生であろうと、残りの時間は、納得できるように使うもの。
死が間近なものになると、人は慌ててそうやって過ごす。
だったら、死が間近になる前から、今を、今日を必死に生きたら良い。
悔いが残らないように生きたら良い。
すると、いつ、死を迎えても、人生に納得することができる。
おそらく、多くの人は、こんなことは既に分かっているであろう。
だが、分かっているだけで、特別、意識しているわけではない。
そのため、時が流れると共に、期限を設けなくなり、全体的に緩んだ日々を送ることになることも…
一分一秒を大切に扱い、今を、今日を本気で生きるためにも、常に、期限を設けることは大事なこと。
そして、期限を意識するために、「今日で最期ならどうする」という問いは、素晴らしい効果を発揮する。
試し続ける価値はあると思うよ。
サコヤンの独り言
「死を意識すると今日を真剣に生きることができる」