良い結果は後からついてくる。
だから、やる前から、良い結果を過剰に意識する必要はない。
意識すればするほど、かえって、動けなくなってしまう。
なんたって、良い結果を望むことが、良い結果を得なければいけないと義務に変わってしまうから。
今の自分の力で及ぶものであれば、義務としてとらえていた状態でも良い結果を出すことはできるだろう。
だが、今の自分の力では及ばないものに対して義務感を抱くと、プレッシャーに押しつぶされてしまう。
やる前から諦め、一歩を踏み出せなくなってしまう。
そうなっては、何も始まらない。
何も生まれない。
何も変わらない。
ただ、生きていては、今の力では及ばないことをやる機会はたくさんある。
むしろ、今の自分の力で及ぶものをやることの方が、少ないのかもしれない。
なんせ、世界は広く、自分が知っていることも、できることも、ごくごく一部でしかないから。
知らないことや、できないことの方が圧倒的に多い。
そして、大切なのは、今の力では及ばないことに対して立ち向かい、やりながら力をつけ、やれる力を身につけることなんよね。
ゆえに、今、力が及ばないからといって、嘆くことは必要ない。
だって、そもそも、やれないことが、力が及ばないことがたくさんあるんやから。
では、どういった姿勢でいると、今の力では及ばないことに対して立ち向かうことができるのか。
その答えの一つとして、良い結果を得ることを義務にしないこと。
これが、大前提となるであろう。
なんたって、初めから、良い結果が得られるわけではないから。
良い結果を得るためには、それ相応の過程が伴う。
でも、良い結果を得ることを義務にしてしまうと、良い結果を得ることばかりに意識が向いてしまい、過程に意識が向かわなくなってしまう。
それでは、前に進むことがままならない。
だからこそ、良い結果を得ることを義務にしないこと。
また、着実に成長を重ねていると、次第に良い結果を得ることができるものやしね。
最初から、考える必要はない。
意識する必要はない。
大事なのは、どんな些細なことでもいいから、実際に行動に移すこと。
実際に、行動に移すと、必ずといって、何かしらの結果が出る。
良い結果の時もあれば、芳しくない結果の時もある。
ただ、どんな結果が出ようと、反省の余地は残されている。
修正する部分は残っている。
なぜなら、人は100%完璧にこなすことはできないから。
一つの行動によって、一つの結果が出る。
出た結果を振り返って、改善点を見つける。
改善点を見つけると、修正して、また立ち向かう。
すると、最初の行動よりも、少し良い形になっている。
もちろん、数回繰り返すだけでは、良い結果としては現れないだろう。
だが、それを何十回、何百回とやれば、話は変わってくる。
おそらく、高い確率で、良い結果として現れる。
だって、出てくる改善点を一つずつ修正し、より質を高めているんやから。
質を高め続けていて、良い結果が出ないというのは、考えにくい。
現実的ではない。
愚直に質を高めている者は、必ずといって、良い結果を出すようになる。
これが現実。
良い結果というのは、成長し続けた先にあるもの。
よって、最初から、過剰に意識するものではない。
良い結果を出すために意識するのは、今の自分がやる行動なんよね。
行動に移せば、何かしらの結果が出る。
結果が出れば、改善点を見つけることができる。
ゆえに、良い結果を出すための原点は、一つの行動と言っても過言ではない。
一つの行動が、全ての始まり。
行動に移すことによって、良い結果を得るための道を歩むこととなる。
もちろん、行動に移せば、上手くいく時もあれば、上手くいかない時もある。
だが、そんなのは、どうだっていい。
だって、一つ一つの結果は、良い結果を得るための過程に過ぎないから。
良い結果を得るために、改善点を得る手段なんやから。
だから、上手くいかなかったらどうしよう。
と、嘆くことも、怖れることも、不安になることも、全然必要ない。
なんたって、上手くいかなくても大丈夫なんやから。
上手くいかなかったら上手くいかなかったで、改善点が見つかり、修正すると、より良い結果を得ることに近づく。
上手くいかないことは、何かを失うのではなく、何かを得ることなんやで。
これこそが、本来の姿。
よって、どんな状況であろうと、堂々と立ち向かえば良い。
行動に移すと、必ずといって、改善点が見つかるから。
何度も何度も、改善点を修正していると、いずれ、良い結果を得ることはできる。
良い結果は、成長し続けていると、後からついてくるようになっている。
ゆえに、やる前から、過剰に意識する必要はない。
案外、そんなものなんやで。
サコヤンの独り言
「良い結果は、成長し続けていると自ずと得られる」