できる限り楽をして、それでも、より良い結果を求めようとする傾向がある人は、ある意味現代病なのではないか。


なんせ、上を目指すのではなく、今の自分の力で通じるものに妥協している人は多いから。


行きたい大学を目指すのではなく、今の偏差値で行ける大学の中から選ぶ人もいる。


好みの人がいても、アタックして傷つくのが怖くて、確実性が高い人を選ぶ人もいる。


やりたいことがあっても、「自分には無理」と勝手に判断して、勝手に諦める人もいる。


今の自分では手の届かないものは、すぐ諦め、現時点で手の届くものばかりを選ぼうとする。


こうして、楽なことばかり選ぶことで、楽なことばかりをする習慣が身についてしまう。


自分でも気づかないうちに。


すると、自分の可能性に自分で上限を設定し、その範囲内で生きることになる。


しかも、その範囲内でしか生きることができない、と思い込んでしまう。


ただ、自分が思い込んでしまえば、それは、自分の中では正しい答えになってしまうもの。


だから、思い込みと気づくまで、ずっと、その世界で生きることになる。


たとえ、自分の中に、どんなに素晴らしい可能性が秘められていたとしても・・・


その可能性が花を開くことはなく、いつまでも萎んだ状態で時だけが流れていく。


そんな淋しい時間が刻々と流れていく。


おそらく、多くの人が、そうしている。


だって、多くの人が、小さい時から、できる限り楽をしようとして生きているから。


答えを自分から求めようとするのではなく、答えを与えられるものとして育つ。


ゆえに、与えられて当然という感覚が強くなる。


そして、与えられて当然という環境で育つと、自分の人生だというのに、自分が当事者という感覚が薄くなっていくんよね。


そのため、自分の人生だというのに、どこか他人のような感覚を抱いてしまう。


これでは、自分の力を存分に発揮することは難しい。


なんたって、自分の人生を自分が自分の手で切り拓く。


という意識が乏しいから。


そんな意識は、持っていなくて、誰かが、与えてくれるだろう。


といった、甘い考えが、根底に根づいてしまっている人は多い。


ただ、自分の人生を自分の代わりに生きてくれる人はいない。


生涯にわたり、自分のために、献身的に尽くしてくれる人は、滅多にいない。


自分は何もしないのに、自分を助けてくれるお人好しな人に、出会える可能性は低い。


だから、自分の人生は、自分が当事者という自覚を持って自分の手で切り拓く必要がある。


そうするためにも、自分の人生の中から、楽をしようとする意識を排除することが大事。


なぜなら、楽な行動は、自分を駄目にするばかりか、結果が伴わないことが多いから。


同じ「楽」という字でも、楽しい行動なら何ら問題はない。


なんせ、楽しい行動は、自分をより活性化して、自分の人生を好転していくから。


同じ字でも、天と地との差がある。


どうせなら、楽しい行動を選びなよ。


その方が、充実した人生を送ることができるから。


今の時代、様々な機器が発達し、便利な品で溢れている。


そして、こうしたものが、楽をしようとする環境を助長している。


なんたって、インターネットが普及し、誰でもメールができるようになったことで、声で相手に伝える回数が急激に減っている。


声で伝えようとはせずに、手軽にできるメールで伝えて済ます人は意外とたくさんいる。


メールで伝えれば、それでちゃんと伝えたことになると、認識している人はたくさんいる。


確かに、メールでは、文字を伝えることはできるが、その人の感情や表情、声のトーンといったものを伝えることは難しい。


直に会って話すとなると、予定を合わすなどの手間はかかる。


電話だって、相手の状況の確認等をする必要があるため、適度な手間はかかる。


でも、メールは自分の都合だけで伝えることができるから、手間はかからないし気が楽なんよね。


ただ、小さい時から、手間がかからず気が楽なことばかりを続けているからこそ、できる限り楽をしようとする習慣が身についちゃうんよね。


けど、そんな状況でも、より良い結果は欲しいと思うもの。


だから、できる限り楽をして、より良い結果を望んでしまう。


すごく我がままで傲慢な行動だと自分では認識せずに・・・


でも、幸か不幸か、できる限り楽をして、良い結果が手に入ってしまうんよね。


特に、小さい時は・・・


なんせ、必要以上に、物を買ってもらえる機会は多々あるから。


また、小さい時は、学ぶことがそれほど難しくなく、楽をして良い結果が出ちゃうもから。


こういった感覚を強めちゃうと、楽をしていても、良い結果は得ることができるもの、と誤って認識してしまう。


けど、この時は気づいてない。


これが、人生において、最大の足枷になるということに・・・


もちろん、自分の目の前に現れるものの難易度が自分の力を下回っている時には、楽をしていても、良い結果を出すことができる。


だが、いつまでも、自分の力を下回るものが現れるものではない。


時には、自分の力と拮抗したものや、上回るものが現れる。


こういうとき、楽な行動ばかりを選ぶ習慣がある人は、率先して取り組むことができなくなることが多い。


なんせ、やったところで、楽をすることはできないから。


そのため、やらないことで、楽を得ようとする。


小さい時に築いた習慣は、それに気づくまで、いつまでも続く。


たとえ、何歳になろうと。


だから、楽な行動ばかり選ぶ習慣を身につけた人は、その後の人生で、高い確率で、苦労が伴うもの。


なんせ、状況にかかわらず、何をしようと、楽な行動を選びがちだから。


でも、このことに、当の本人は気づいていない。


自分にとっては、あまりにも当たり前な行動になりすぎて・・・


ゆえに、いつまでも、楽な行動ばかりを選んじゃう。


楽な行動を選ぶのは、その人の意思もあるが、環境が与える影響も大きい。


そのため、自分でちゃんと考えていなければ、身の周りにある環境に飲み込まれてしまう。


そして、楽な行動ばかりを選ぶようになってしまう。


そうならないよう、自分自身を律し、日々を懸命に生きなよ。


それが、自分の命を輝かせるコツの一つだから。



サコヤンの独り言

「時代や周りに流されることなく、自分の人生を懸命に生きなよ」