自分に対して、全幅な信頼を置いて生きていますか。


即座に「YES」と答えることができた人は、素晴らしい。


答えることができた人は、その調子で進めば良い。


けど、「NO」と答えた人は、一度、自分自身の生き方を改めた方が良いのだろう。


なんせ、自分に対する全幅な信頼は、すべてにおいての原動力となるから。


自分に対する信頼度が高い方が、より大きな力を発揮することができるもの。


だから、自分のことを信頼できていない人は、自分の力を存分に発揮できていない場合が多い。


本来なら、今以上に大きな力があるというのに、それを使い切れていないのは、非常にもったいない。


ただ、人は、誰だって、最初の頃は、自分に対して全幅な信頼を置いて生きていたはず。


いや、自分を疑うことを知らなかっただけなのかもしれない。


とにかく、自分を信頼していたことはまちがいない。


だって、赤ちゃんの時は、何にだって興味を示し、何にだって挑戦し続けていたから。


たとえ、何回失敗しようと懲りることなくやり続けていた。


失敗を失敗として認識していなかった、自覚していなかった。


ゆえに、何度でも挑むことができたんよね。


でも、そういった心を持ったまま大人になる人は、意外と少ないもの。


育つ過程で、自分への信頼を失ってしまう。


そして、自分への信頼を失うと共に、発揮できる力も小さくなってしまう。


残念ながら、こういう人が大多数。


なんせ、「自分に対して自信がありますか」という問いに、「NO」と答える人の方が多いから。


人は、歳を重ね、多くの人と共に過ごしていると、様々なことを経験する。


傷つく言葉を投げかけられることもあるし、大きな失敗をすることもある。


怒られることもあれば、後悔することもある。


素晴らしい経験ばかりを積み重ねて生きるわけではない。


時には、芳しくないことも経験する。


ただ、この芳しくない経験が要注意なんよね。


なんたって、芳しくない経験をした後に嫌な感情を抱くことによって、自分に対する全幅な信頼は奪われていくから。


嫌な感情を抱けば抱くほど、嫌な感情に対して過敏になり、自分を守るようにシフトしていく。


一見、自分を守るために当然のことをしているように感じる。


だが、実は、自分の力を抑える行為でもあるんよね。


なんたって、嫌な感情を抱くことを回避するために守っていると、前に進むことよりも、危険回避の方が優先されてしまうから。


すると、自分を守ることばかりに意識が向き、自分の力が自分を守ることだけに使われる。


そうやって、何年も過ごしていると、自分を守ることが当然の行動となってしまう。


もちろん、自分を守ることは素晴らしい行為。


だって、しっかりとした守りがあるからこそ攻めることができるんやから。


でも、自分を守っている動機が、嫌な感情を抱くことから回避するため、という理由であれば、いささか考え直す必要がある。


なぜなら、怖れに基づいた行動だから。


怖れに基づいた行動からは、自分に対する全幅な信頼は生まれない。


怖れを抱いている時点で、自分に対しての信頼は損なわれている。


だって、自分を信頼していると、怖れを抱く必要はないから。


そもそも、人は強く、過剰に自分を守らなくともやっていける。


過剰に守る必要がないのにもかかわらず、必要以上に守っている。


そんな不思議な状態が成り立ってしまうんよね。


過去、何か失敗したからといって、今の自分が失敗するとは限らない。


過去、何かで傷ついたからといって、今の自分が傷つくとは限らない。


過去、人から裏切られたからといって、今の自分が裏切られるとは限らない。


過去の出来事は一つの事実であって、それが繰り返される保証はない。


過去の自分は、失敗して傷ついたとしても、今の自分は、失敗しても、案外、平気だったりする。


過去の自分から大きく成長し、失敗に対しての耐性ができている場合は多々ある。


以前は嫌な感情を抱いたことであっても、平然としていられることは多々ある。


人は、時の流れと共に、歳を重ね、様々な経験を積み上げる。


そして、自分が思っている以上に大きく成長している。


この伸びを無視して、過去のイメージのまま今を生きる必要はない。


それは、自分に対して失礼に当たるんやで。


小さい時は、感覚的に嫌な感情を抱くと、それを避けようとしていた。


だが、たくさん経験していくうちに、一見、芳しくない出来事の中に、素晴らしい要素が含まれていることに気づく。


すると、芳しくない出来事は、「大切なメッセージを自分に伝えてくれている出来事なんだ」と認識することができる。


多くの人は、小さい時の自分より、物事に対して、深く広くとらえることができるようになっている。


なのに、このことを忘れてしまっている。


無視してしまっている。


成長した分を考慮した上で、自分を守る態勢を整える必要があるんやで。


小さい時の記憶を修正することなく、自分を守っていれば、どうしてもズレが生じてしまうもの。


なんせ、小さい時の自分と、今の自分では、圧倒的な力の差があるから。


成長しているにもかかわらず、以前と同じように守っていると、守らなくても大丈夫なものに対しても、大きな力を注いでしまう。


無駄な力を注いで守るくらいなら、その力を前に進むために使った方が良い。


今の自分の力を正当に評価することが、自分を全幅に信頼することにつながるんやで。


過去の自分と対峙し、怖れを解放すると共に、過去に抱いた記憶を修正しなよ。


いつまでも、小さい時に抱いたものに縛られて生きる必要はないんやから。


もっと、今の自分の力を信じて過ごしなよ。


大概の人は、今の自分の力を低く見積もっているんやから。


自分の力に対して、正当な評価ができるようになるだけで、自分の状況は大きく変わっていくもの。


過去に抱いたイメージが不変的な真実とは限らない。


むしろ、過剰に思い込んだイメージである場合は、多々ある。


だからこそ、過去に抱いた自分のイメージから自由になって、今を生きることが大事なんやで。


すると、自分に対して全幅な信頼を置けるようになっていくから。


そして、自分に対する信頼度が高まるにつれて、より大きな力が発揮されるようになっていく。


案外、そんなものなんやで。



サコヤンの独り言

「自分の成長度を加味した上で自分を再評価しよう」