本気で生きている力を100%として、自分は、今何%の力で生きていますか。


ものすごく大事なことなので、パッと浮かぶ数字を思い浮かべてください。


どんな数字が浮かびましたか。


高い数字ですか。


低い数字ですか。


妥当な数字ですか。


この数字は、「謙虚さ」と「自信」のバランスの度合いによって判断しているように思える。


数字が低い人は、自分に対する自信が少ない。


しかも、自分の可能性を疎かに扱っている。


逆に、数字が高い人は、自分に対する謙虚さが少ない。


その上、自分の可能性を小さく見積もっている。


おそらく、瞬時に70%辺りを答えることができると理想なのではないか。


自分に対して、自信もあるが謙虚さも備えている。


また、自信の割合が高いわけでもなし、謙虚さの割合が低いわけでもない。


だが、70%とは、瞬時に答えることは容易ではない。


なぜなら、多くの人は、自分を低く見積もる性質かあるから。


おそらく、2030%辺りを答えた人が多いのではないか。


そして、50%を越す値を瞬時に答えることができた人は、立派に感じる。


きっと、50%を超える値を即座に答えることができる人は、日頃から、それなりのことをやってきている人であろう。


じゃなきゃ、そう答えることができるものではない。


ちなみに、僕自身は、10%と答えた。


これが、僕が僕にした自己評価。


謙虚な姿勢を振舞っているつもりでも、単に、自分に対して自信がないだけ。


謙虚さと自信のバランスが大きく崩れ、本気で生きているとは言えやしない。


ただ、一度、考えてみると、すごくもったいない生き方をしていたことに気づく。


なんたって、多くの力を埋もれさせたまま生きていたんやから。


本気で生きる力をほとんど出さないまま生きていたんやから。


本気で生きる力を出さない自分に対して何も思わずに生きていたんやから。


仮に、本気で生きていたとすると、今頃どうなっていたのか、と考えるすごくもったいない。


だが、今からでも遅くない。


なんせ、自分次第で、いつからでも、本気で生きることは可能だから。


ただ、本気で生きた方が良いということは、多くの人が知っている。


だが、実際にやれている人は、少数派。


多くの人が願望として持っているのにやれていない。


ここに、何かしらメカニズムがありそうじゃね。


少し、考えてみよう。


今、本気で生きていない人は、ずっと、そうだったわけではない。


だって、小さい時は、誰もが本気で生きていたはずだから。


では、なぜ、育つ過程で本気で生きることができなくなったのか。


それは、本気で生きることを無駄に感じる経験をしたから。


本気で取り組んでいたことを奪われたから、禁止されたから。


本気で生きることの楽しさを失ったから。


成長過程で、何かしらのキッカケを得て、本気で生きることを辞めてしまう、諦めてしまう。


そのキッカケは、親かもしれないし、教師かもしれない。


もしくは、友達かもしれないし、近所にいる誰かかもしれない。


多くの場合、身近な人が、キッカケになるもの。


ただ、どんなキッカケであろうと、本気で生きていない時間が長ければ長いほど、本気で生きない状況が当たり前になってしまう。


すると、そんな状況に妥協し、本気で生きようとはしなくなる。


「今のままでも良い」と感じるようにもなる。


何はともあれ、数%の力で何気なく生きる日々を過ごしてしまう。


でも、こんな状況で、本当に良いのか。


せっかく、奇跡の連続でこの世に生を受けたというのに・・・


これでは、あまりにも、もったいない。


だからこそ、一度、自分がどの程度の力を出して生きているかを考える必要があるんやで。


考えさえすれば、今のままではアカンことに気づくから。


気づいてしまえば、本気度を高めようとする。


人には、そういう性質がある。


なんたって、まだまだ出せる力があることに気づいたにもかかわらず、じっとする人なんて滅多にいない。


力があると分かれば、それを試したくなるのが人の性。


最初に低い数字を思い浮かべた人は、大チャンス。


なぜなら、自分には、伸びしろが十二分に残っている証だから。


低いから悪く、高いから良いというわけではない。


どんな数字であろうと、これから高くしていけば良いんやから。


誰にだって高くすることができる。


何歳からでも高くすることができる。


単に、自分の限界値を低く見積もり、しかも、考えないようにしていただけ。


でも、一度考えると、今の自分がMAXではないことに気づく。


すると、上を目指し、一つでも上に行こうとする。


自分の力がどこまで通用するのか知りたくなって・・・


通常、本気で生きなくとも生きることはできる。


そのため、あえて、本気で生きようとはしないもの。


むしろ、周りに合わせ、自分の力を抑え、自分の限界を低く設定し生きる。


なぜなら、その方が楽だから。


煩わしいことや面倒なことをしてまで、前に進もうとしない。


そういう環境に、長くいればいるほどこの傾向は強くなる。


だが、これが、自分を堕落させてしまうんよね。


少しずつ、少しずつ。


自分でも気づかないくらいのゆっくりとしたスピードで。


そして、気づいた時には、手に負えないものになっていたりする。


そうならないためにも、本気の力を出して生きなよ。


それが、輝く人生を生きる第一歩になるから。



サコヤンの独り言

「今自分がどの程度の力を出して生きているのか、一度考えなよ」