いくつになろうと、恥をかいても良い。


自分に対して、恥をかくことを許そうではないか、受け入れようではないか。


なんたって、恥をかくことは、決して、悪いことではないから。


ただ、恥をかいて嫌な想いをしたことがある人は、それ以降、恥をかくような行動をしない傾向にある。


特に、大恥をかいて嫌な想いをしたことがある人は・・・


なんせ、再び、恥をかいて嫌な想いをしたくないから。


すると、どうなるのか。


それは、恥をかかないことを前提として、行動を選ぶようになる。


また、恥をかく可能性があるものは、極力、避けるようになる。


無難なものばかりを選び、危険性があるものを選択肢から外す。


どうしても、偏った選択をしてしまう。


恥をかくことを、自分の人生から取り除いてしまうと・・・


ただ、多くの人が、そうしてしまっている。


歳を重ね、成長を重ねるごとに・・・


もちろん、例外な人もいるが、多くの人は、歳を重ねるごとに、見栄やプライドを高く持つ傾向があるから。


見栄やプライドを高く持つ人ほど、恥をかくことが許せなくなる。


ゆえに、何が何でも、恥をかかないような行動をしてしまう。


けど、極端に、恥をかかない行動を選ぶと、どうしても無理が生じるもの。


そんなことをしても、全然、自分のためにはならない。


だって、恥をかかないことを選択している理由が、自分の都合によるものだから。


そのため、こんなのは、本来、正当化されるものではない。


なんたって、理由があまりにもくだらなさすぎるから。


そもそも、恥というのは、かいたら悪いものではない。


むしろ、恥はかいた方が良いんやで。


ただし、過剰な想いを抱きさえしなければ・・・


恥をかいて嫌な想いをしたことがある人は、恥をかきたくないと思うのは当然の行動。


とはいえ、恥をかくことそのものを否定してしまうと、自分の選択肢が大幅に削られてしまう。


なんせ、恥をかくことを否定すると、何一つ失敗ができなくなってしまうから。


恥をかくことが嫌な人は、失敗に対して過剰な想いを抱いていることが多い。


なぜなら、失敗すると、人の目につき、冷ややかな目で見られる可能性があるから。


また、恥をかいた、と自分を責めてしまう可能性がふんだんに含まれているから。


失敗が許されなければ、すべてのことでより良い結果を出し続ける必要がある。


これは、人である限り、不可能。


人は完璧な存在ではないため、失敗もするし、自分の思うようにいかないことは山ほどある。


だからこそ、人間なんよね。


ただ、失敗して、学んで、次に進むことができるのも人間。


恥をかくことがアカンのではなく、恥をかくと思って何もしないことがアカンのやで。


失敗することがアカンのではなく、失敗すると思って何もしないことがアカンのやで。


そもそも、人は、恥をかくことも、失敗することも許されている。


ゆえに、ドンドン恥をかけば良い。


ドンドン失敗したら良い。


その度に、自分は大きくなることができるから。


恥をかく自分を受け入れると、失敗する自分を受け入れると、選択肢は大幅に広がり、挑戦できる機会は格段と増える。


そのため、生きる上で、成長する上で、ものすごく大事。


このことは、よく覚えておきなよ。


それに、不思議なことだが、歳を重ねるごとに、何かをして恥をかくという体験をする回数が減っていくもの。


自分に力がついてきているのかもしれない。


小さい時に比べて、自分に率直に言ってくる人が少ないからかもしれない。


自分に対して、人は、さほど、興味を持っていないからかもしれない。


様々な理由が考えられるが、恥をかく回数が減っているのは、明らかであろう。


ただ、恥をかくということ自体、自分次第でどうにでもなるんよね。


なぜなら、恥をかく時というのは、自分が人を意識している時だから。


人からどのように見られるのかを、人からどのように思われるのかを、人からどのようにとらえられるのかを、といったことに対して・・・


だから、自分が、人を意識することを止めれば、恥をかくこともなくなる。


上手くいかなかったら、上手くいかなかったことを認め、人からの評価を気にしない。


すると、恥をかく暇もなくなる。


これは、失敗においてもそう。


そのため、人から良い人と思われようとする必要はない。


人から、高い評価を得ようとする必要はない。


なんせ、こういったことを思ったところで、大した意味はないから。


思えば思うほど、恥をかきたくない想いが強まり、かえって、何もできなくなる。


恥をかきたくないではなく、恥をかいても良い。


この意識の違いは、行動に違いを生む。


すべては、自分らしく動けるような意識を持つこと。


それが大事。


恥をかきたくないという想いは、自分を守る方法としては良いかもしれないが、自分の行動を縛ってまで自分を守っても意味がない。


人は強く、過剰に守る必要はないんやで。


そんなことしなくとも、やっていける力を備えているものだから。


とにかく、恥をかく自分を受け入れ、いくつになっても恥をかける人でありなよ。


それが、これからの自分をより大きくさせることにつながるから。


案外、そんなものなんやで。



サコヤンの独り言

「恥をかけることは素晴らしい能力」