まだ見ぬ自分を知る。


すごく大事。


なんたって、誰もが、自分を100%知っているわけではないから。


今の自分は、一部分であって、すべてではない。


しょせん、氷山の一角に過ぎない。


ゆえに、いつだって、今の自分に満足をしてはいけない。


なんせ、満足すれば、そこで成長が止まってしまうから。


人は、自分次第で、力はどこまでも伸び、可能性はどこまでも広がっていく。


それなのに、自分自身を追求しないのは、もったいない。


せっかく、奇跡の連続の先にこの世に生を受けたんやから。


どうせなら、自分には、どんな一面が秘められているのか。


一つずつちゃんと確かめる。


ただし、どんなに自分を知ろうと、一生の内では全てを知ることはできないもの。


一生という限られた時間では、自分のすべてを知るのにはあまりにも短すぎる。


でも、知れる範囲で知ることは、すごく大切。


だから、普段から、まだ見ぬ自分を知る意識を持って過ごしなよ。


何気なく、生きていると、まだ見ぬ自分を知ることなんて、滅多にないんやから。


では、まだ見ぬ自分を知るにはどうしたら良いのか。


それは、新たな行動を起こすこと。


今の環境から離れること。


今までの行動パターンを変えること。


今までと同じ環境で、同じやり方で生きている場所には、まだ見ぬ自分は存在しない。


だから、何かを変える必要がある。


行動でも、考え方でも、場所でも、関わる人であっても・・・


人は、何かを変えるだけで、今までと違った環境としてとらえるもの。


すると、そこで適応するために、今までしなかったことをする必要が出てくる。


この今までしなかったことをする、ということが肝なんよね。


これこそが、まだ見ぬ自分を知る大きなキッカケとなるんやから。


今までと、何から何まで同じであれば、新たな自分が現れる必要がない。


だって、新たな自分が現れなくとも、やっていけているんやから。


ゆえに、自分から、新たな自分が現れるような環境を設定する。


これが、大事。


環境が変われば、否応にも、新たな自分が出現するもの。


なんたって、今までと同じでは、やっていけないことにすぐ気づくから。


環境が変われば、誰だって、変わることができる。


だが、自分の環境を誰も変えてはくれない。


何か特別なことがない限りは・・・


そのため、自分で自分の環境を変える必要があるんよね。


これができれば、まだ見ぬ自分を知ることは、容易にできる。


ただ、今いる環境を変えることは、人によってはネックとなる。


なんせ、今いる環境に慣れ親しみ、今いる環境に留まろうとするから。


中途半端な想いでは、今いる環境から離れることは、中々できるものではない。


だって、今いる環境から離れるには、膨大なエネルギーを要するから。


そのエネルギーを出してまで変わろうという想いがなければ、今いる環境に留まってしまう。


また、今いる環境から離れることを怖れてしまっても、今いる環境に留まってしまう。


何に怖れるかというと、自分の可能性を直視することに怖れるんよね。


直視しなければ、いつまでも、できたかもしれない、という可能性を残すことができる。


でも、こてんぱんにやられてしまうと、この可能性さえも失い、現時点での拠り所をなくしてしまう。


大切なものを失った時のことを考えて、環境を変えることに戸惑ってしまう。


ただ、やってみて、実際にできる場合が多々あることも事実。


たとえ、自信がなかったことであっても・・・


できるかどうかなんて、最終的には、やってみなきゃ分からない。


もちろん、上手くいかないこともあるが、上手くいくこともある。


できたかもしれない、という想いを残すことは、やらないリスクを負うことになる。


しかも、一生の間。


けど、やりさえすれば、やらないリスクを負うことはない。


その上、やった自分に対して納得ができる。


どんな結果であろうと・・・


なんたって、自分の意思で考え、自分で選んだ道だから。


言葉にしてみると分かりにくいが、双方の差は、とてつもない差がある。


月とスッポンのように・・・


だって、何もしなければ、まだ見ぬ自分は出現せず、現時点をMAXとして生きることになる。


だが、とにかくやってみれば、まだ見ぬ自分が次々と現れ、自分は成長し続ける。


成長し続けている人は、その時の自分をMAXとは思わないもの。


この意識の違いは、人生にもたらすものを大きく変えてしまう。


だからこそ、今までと違った行動を起こす必要があるんやで。


まだ見ぬ自分を知るためにも・・・


今いる環境を変えるためにも・・・


今をMAXにしないためにも・・・


どんな人であろうと、まだ見ぬ自分を知ることができるもの。


ゆえに、どこまでも追求するんやで。


すると、自分の人生がちゃんと展開していくから。


ただし、まだ見ぬ自分を知ることをちゃんと受け入れなよ。


怖れを抱いたままであれば、反対の行動を取ってしまうことになるから。


とにかく、まだ見ぬ自分は、出現することを心待ちにしていることはまちがいない。


こそれを出現させるかどうかは、自分の行動にかかっているんやで。


そのため、今までと同じ行動をし続けている場合ではない。


少しずつでも、これまでと違った行動をしていく必要があるんやで。


これが、まだ見ぬ自分を出現させる大きなキッカケとなるんやから。


どれだけ、まだ見ぬ自分を知ることができるかで、人生そのものが全然違ったものとなる。


案外、そんなものなんやで。


人の可能性は果てしないんやから、どこまでも追及しなよ。


ちゃんと自分のためになるから・・・



サコヤンの独り言

「今までと違う行動をすることでまだ見ぬ自分は出現する」