失敗したとしても、そこで終わりではない。


なぜなら、たとえ、何かで失敗したとしても自分の人生は失敗に関係なく続いていくから。


むしろ、失敗した時には、そこから新たな道が始まる。


これは、よくよく考えてみると分かること。


なんせ、何かに失敗しても、その時、選択肢は複数残されている。


失敗したことを受け入れて、尚挑戦すること。


失敗を成長の機会ととらえ、学びながら前に進むこと


今までと同じ道を進むのを諦め、別な道を進むこと。


もちろん、この他にも考えられる選択肢はたくさんある。


ただ、重要なのは、撤退する道が残されていることなんやで。


何かをやったところで、必ずしもできるようになる必要はない。


自分に合わなければ、いつ撤退しても構わない。


無理して、前に進むことはない。


それなのに、何かを始めると、上手くやらなければいけない。


といった想いに駆り立てられる。


いわば、一種の脅迫概念のようになっていることにも。


上手くやらなければいけないと思うからこそ、緊張し、身体が硬直して、力みにつながる。


この状態では、上手くいくものも上手くいきはしない。


だからこそ、撤退する道があることを自覚することが大事なんやで。


この意識があるだけで、自分の心に余裕を与えることができる。


そして、この余裕が、自分の振る舞いに大きな影響を与えている。


なぜなら、心に余裕がある方が、成果を出しやすいから。


一見、逃げ道を用意しているように感じるが、逃げではない。


なんせ、最悪の場合を考えた備えだから。


そもそも、駄目だったら駄目で仕方がない。


だって、それが出た事実だから。


出た事実は出た事実として受け入れる。


ただ、不安を感じ何もしないよりは、何百倍もまし。


なんたって、実際に行動に移し、何かしらの結果が出ているから。


結果が出れば、新たな道に進むことができる。


だが、何も結果を出さずに悩んでいるだけなら、多くの時間を浪費するだけ。


何の意味もない。


しかも、いつまでも後悔の念にとらわれる。


やらない自分を責めるなどして・・・


でも、結果はともかく、行動に移せば、最低限納得ができる。


納得ができれば、案外、すんなりと次に進める。


たとえ、芳しくない結果が出たとしても・・・


多くの人は、今の自分にとってより良い結果を臨む。


けど、芳しくない結果が、素晴らしい人生のキッカケになることは、思っている以上に多い。


これも事実なんよね。


なんせ、何かしらの失敗がキッカケで、今までの道を替える人はたくさんいるから。


学歴が乏しい人が、後に大きな会社を経営している人もいる。


就職活動に失敗した人が、後に大活躍している人もいる。


どん底まで落ちたことがキッカケで、今まで以上に這い上がる人もいる。


多くの人が通る道から外れることになったとしても、大活躍している人はたくさんいるんよね。


そして、こういう人は、過去の失敗に感謝している人が多いもの。


あの失敗があったからこそ、今の自分がある。


と本気で思っている。


ゆえに、その時の自分にとって芳しくない結果が、必ずしも、悪いものとは言い切れない。


ひょっとすると、この芳しくない結果が人生においてターニングポイントになることだってあるんやから。


ただし、そのためには、ちゃんと行動に移すこと。


不安や怖れに怯えていたら、失敗することもできやしない。


失敗することは、何一つ悪いことではないんやで。


なんたって、失敗そのものに善悪はないから。


善悪をつけているのは、他の誰でもない自分自身なんやで。


自分が失敗を善ととらえれば、その失敗は善となり、悪ととらえれば悪となる。


ただ、それだけ。


失敗をしてはいけないものとすると、選択肢は限りなく狭くなる。


しかも、自分の人生がまったくといって、展開していかなくなる。


ゆえに、失敗をしても良いものとしてとらえなよ。


そして、失敗が大きなキッカケになることだってあることを自覚しなよ。


すると、「失敗しても大丈夫」というマインドを築けるようになるから。


そもそも、一つの失敗は一つのチャレンジの終わりを示す。


だが、何かが終われば何かが始まる。


一つの終わりは、新たな始まりでもあるんよね。


命があり、行動し続ける限り、これが繰り返される。


「始まりと終わり」、「チャレンジと失敗」このサイクルを回し続けなよ。


それだけで、自分の人生は留まることなく展開していくから。


仮に、失敗を終わりととらえていたのなら、これは、自分を苦しめるだけ。


だから、極力、失敗は新たな始まりと強く自覚するんやで。


失敗を終わりととらえるか。


失敗を始まりととらえるか。


この意識の違いは、人生において大きな差を生む。


ゆえに、失敗を始まりとして、善としてとらえなよ。


それが、自分の人生をよりよくするための一つのコツだから。


とにかく、失敗しても、そこで終わりではない。


むしろ、そこから新たに進むことができるもの。


こう思うようになるだけで、失敗に対して、過剰に考えることもなくなる。


すると、心に余裕が生まれ、より良い状態で取り組むことができる。


自分にとっては、良いこと尽くし。


だから、あらかじめ、失敗に対して自分なりの考えを持っておきなよ。


きっと、自分のためになるから。



サコヤンの独り言

「結果がどうであろうと、動くことで選択肢が増えていくもの」