不安はあるけどここを乗り切ると大きく前進する。
不安を抱いた時こそ、自分にこう言い聞かせること。
ものすごく大事。
なんせ、不安を抱く時というのは、大概、防衛本能が働き自分を守ろうとしている時だから。
そのため、逃げたり、避けたりやらない選択を選びがち。
なんたって、こういったものは傷つかないで済む方法だから。
もちろん、逃げ続けることができるものであれば、無理してやる必要はなく、そのまま逃げ続ければ良い。
だが、逃げ続けられるものばかりではない。
逃げたくても避けたくても、それができない場合もある。
むしろ、こういったものの方が多いのではないか。
どこかの組織に所属していれば特に・・・
不安を抱いていても、やらなければならない時もある。
ただ、不安を抱いて、嫌々やるのはいただけない。
だって、後向きな気持ちで取り組むことになるから。
そんな気持ちで臨んだところで、自分が思う以上のことはやれはしないもの。
だからこそ、どうせやるのなら、思いっきりよくやった方が良い。
その方が、良い結果が出やすくなるから。
ゆえに、不安はあるけど、ここを乗り切ると大きく前進する。
と、不安を抱いた時ほど、自分に何度も言い聞かせるんやで。
不安に焦点を当てたままでは、自分の力を発揮することなんてできやしない。
不安がある、という状態に、逆説的な言葉を用いることで、焦点を不安からずらす。
そして、焦点を前進することに合わせる。
すると、不安な気持ちが和らぎ、かつ、意識が前を向くようになるから。
不安に限らず、マイナスな感情を抱くと、思考が停止してしまい、それ以上のことを考えないことは多い。
おそらく、マイナスな感情を抱いた途端に、防衛本能が自分を守ろうとするからであろう。
先のことを考えるよりも、今ある危険を避けようとする。
これが大事だと、無意識の内に判断される。
ゆえに、今ある危険を避ける行動を取ってしまう。
ただ、人が持つ防衛本能というのは、今の世の中では、過剰に反応し過ぎている。
なぜなら、命を落とすような危険な状態に陥ることはほとんどないから。
大昔と今は大きく異なる。
このことを認識していないと、防衛本能はいつまでも過剰に反応してしまう。
そのため、多少の不安であれば、大げさに反応する必要はない。
自分が思う以上に、結構、大丈夫だから。
軽くとらえるくらいで丁度良い。
大事なのは、不安を抱いた時に、不安に焦点を合わせたまま判断をしないこと。
なんせ、不安に焦点を合わせたまま考えたところで、その出る答えは、不安を基にしているから、前向きな答えが出る可能性は低い。
こんな答えを出したところで、何の役にも立ちはしない。
かえって、不安を膨らませるだけ。
自分を苦しめるだけ。
ゆえに、不安を抱いた時には、不安から焦点をずらしなよ。
それが前に進むための一つのコツだから。
そもそも、誰だって、不安は抱くもの。
なんたって、不安を抱くことは普通に起きるものだから。
不安を抱かないようにすることは、おそらく不可能であろう。
だったら、不安を抱いた時の対処の仕方を覚える。
これが大事。
なぜなら、不安を抱くたびに、自分を守っていては、いつまで経っても前に進めないから。
これでは、元も子もない。
確かに、不安を抱くと自分を守ろうとすることは多い。
だが、不安は悪いものばかりではない。
だって、不安は、時に、自分の負荷となり、大きく前進するキッカケとなるから。
不安を抱いたことをやることで、今まで以上に道が拓けることは、案外、多い。
いわば、不安は、自分の道しるべ的な役割をも果たしている。
なんせ、今の自分の力でやれることには、不安を感じたりしないから。
今の自分の力でやれるかどうか分からないからこそ、不安を感じてしまうんやで。
これは、自分が新たな世界に進もうとしている証でもあるんよね。
この境界線にいるから、不安を抱く。
なんだか、そんな気がする。
境界線を越えて前に進むか、境界線を越えずに今に留まるか。
それによって、人生は大きく異なる。
どちらを選ぼうと、それは自分の自由。
ただ、境界線を越えた方がより良い人生を歩めるであろう。
なんたって、今までと異なる新たな世界に身を置き、多くの刺激を得ることができるから。
不安は、一種の境界線のような性質を持っている。
不安を抱いていることをやるまでは不安を抱いたままだが、いざやってみると、今まで抱いていた不安はどこかに消えてなくなる。
案外、そんなものなんよね。
だから、不安に焦点を合わせ大げさに反応する必要はない。
そんなことをしても、自分のためにはならないから。
ゆえに、不安を抱いた時には、焦点を不安からずらし、意識を前に向ける工夫をしなよ。
それが、前に進む一つのコツだから。
サコヤンの独り言
「不安に焦点を合わせないこと」