不安の先取り。


案外、多くの人がやっている。


なんせ、実際にやってもいないのに、実際に起きてもいないのに不安なことばかり考えることって意外と多いから。


もちろん、物事に取り組む場合、最悪のことを考えることは大事。


これを考えておくことがある種の備えとなるから。


だが、最悪のことを考えてそれに引きずられていては前に進むことはできやしない。


なんたって、その不安が障害となり、前に進むことにためらいが生まれるから。


不安はためらいを生み、ためらいは後ろ向きな発想を抱かせる。


そうやって、自分で自分にブレーキをかけ、ますます行動から遠ざかる。


どんなことが起こるか、芳しくないシナリオを考えたのなら、そのシナリオをあるがまま受け入れること。


それが大事。


受け入れることができないから、不安が生じ、そして強まる。


いわば、自分が蒔いた種なんよね。


自分の都合で不安を抱き、その不安に縛られる。


これほど辛く感じるものはない。


だって、何もやっていない状態で足止めされているんやから。


また、自らが不安の先取りをして、不安に焦点を当て行動できなくなっているんやから。


やってもいないのに、不安に縛られると時だけがドンドン流れていく。


自分は一歩も進んでいないのにもかかわらず・・・


だからこそ、不安の先取りを止める。


目の前にあることを何も考えずに取りかかる。


なんせ、不安の先取りをしたところで、何かが変わるわけでもない。


むしろ、自分を縛りつけ、自分を現状に留めるだけ。


ゆえに、とにかく、一歩前に進むこと。


不安の先取りさえしなければ、案外、容易に前に進めるものだから。


前に進みさえすれば、今まで抱いていた不安は、瞬時になくなるから。


だって、やる前とやった後では、抱く不安が異なるしね。


やる前に抱いていた不安を抱く暇がなくなる。


なぜなら、やった後には、新たな不安が生じるものだから。


自分の状況が変わると共に、何に焦点を当てるかが変わる。


やる前とやった後を境に、焦点が変わると見る世界が変わる。


そのため、今までの世界がどうでもよくなる。


いや、どうでもよくなるのではなく、新たな世界しか目に映らなくなる。


新たな世界で生きていくことに必死だから。


やる前の不安に縛られていた時期のことを考える余裕もない。


環境が変わると、案外、そんなもの。


やる前とやった後を比較できるのは、新たな世界に慣れたもう少し後のこと。


それまでは、新たな環境に慣れることだけに集中する。


ゆえに、今、不安を先取りして、不安に縛られる必要はない。


どうせ、今抱いている不安は、少し先に行くだけでどうでもよくなるものなんやから。


どうでもよくなるものと分かっていながら、不安を先取りして不安に縛られて、無駄な時間を過ごすことはない。


しかも、不安を先取りしたところで、その答えが出るわけではない。


同道巡りをして、ますます不安を膨らませるだけに過ぎない。


そんなことをして、自分を苦しめても自分が損するだけ。


考えることが好きで、現状に留まることが好きで、何も求めていないのならいつまでも不安の先取りをしていたら良い。


それはそれで、当人の人生だから。


でも、こういう人は滅多にいない。


なんたって、多くの人が、自分の人生がもっと良くなることを、幸せになることを望んでいるから。


ただし、不安の先取りは、幸せな道とは逆行している。


なんせ、不安の先取りは、自分から行動を奪ってしまうから。


そのため、不安の先取りをしていた人は、不安の先取りが意味のないこととあるがまま受け入れること。


まずは、それが大事。


とはいえ、すぐには受け入れることができないだろう。


だって、今まで、不安の先取りをしていた生活を続けてきたのだから。


ただ、意識していれば、少しずつだが不安の先取りが意味のないこととして受け入れることができるもの。


そうなれば、今まで以上に前に進みやすくなる。


行動を起こしやすくなる。


なぜなら、一歩を踏み出すに当たって、障害がなくなるから。


不安の先取りする人は、自分の心で自分自身に障害を設けているんよね。


また、苦しむ原因を自分で作っていたんよね。


そうとも知らずに、進めないことに苛立ったり、嘆いたりしていた。


誰のセイでもないのに・・・


前に進めない原因を作ったのは、不安の先取りする習慣を築いた自分自身。


とはいえ、自分を責めることはない。


だって、自分を責めれば、違った負の感情が生まれるから。


ゆえに、不安の先取りしていた自分を認め、許し、受け入れる。


それが大事。


なんたって、不安の先取りをしていた自分も大切な自分だから。


そんな自分を認めて次につなげる。


すると、それだけ大きな自分になれるから。


不安の先取りを続けていると、その分、自分が苦しむことになる。


だが、そんな自分を認めると、苦しんだ分だけ、自分の懐が深くなる。


だから、無駄なことではない。


不安の先取りをする人は、その状況でたくさんのことを学んでいるんやから。


教科書には載ることのない、人生において大切なことを。


そのため、不安の先取りをして苦しんでいるなら、その状況で目一杯苦しめば良い。


不安の先取りに時間を費やす必要がない、と受け入れることができるまで・・・


なぜなら、苦しめば苦しむほど脱け出した時に大きな自分と出会えるから。


案外、そんなものなんやで・・・



サコヤンの独り言

「不安の先取りをしている間は前に進める可能性は低い」