どんな自分も大丈夫。


すべてがOK。


素晴らしい自分も、芳しくない自分も、綺麗な自分も、醜い自分も。


どんな自分もその時の自分で大丈夫。


何ら問題がない。


ものすごく重要な発想なのに、今まで抱くことができずにいた。


きっと、「どんな自分も大丈夫」ということを受け入れることができなかったから。


特に、受け入れることができなかったのは、自分にとって芳しくない自分。


何か嫌なことが起きたり、何か嫌なことをした時の自分をどうしても素直に受け入れることができなかった。


自分を否定したり、自分を責めたり、自分にイライラしたりして・・・


そこまで人間ができていなかったんよね。


残念ながら・・・


今、冷静になって考えてみると、こういったことを受け入れることができなくなった要因には、小さい時に植えつけられた概念が大きな影響を与えている気がする。


その概念というのは、損得勘定。


この損得勘定の概念によって、得することを良いことと思い込み、損することを悪いことと思い込んで生きていた。


自分でも気づかないくらい長い間。


一見、得することは良いことで、損することは悪いことというのは、当たり前のことのように思うかもしれない。


だが、この概念によって、自分の選択肢はすごく狭まれている事実。


だって、損することを悪いことと決め付けると、損することすべてを選択肢から排除することになる。


なんせ、損することを避けてしまうから。


とはいえ、いつもいつも得することを得られるものではない。


自分が学ぶのをやめた途端に、周りの環境が自分のレベルを超えていく。


自分のレベルを超えたものに相対する時、チャレンジすることにためらってしまうもの。


なんせ、チャレンジしたら、失敗し損を被る虞があるから。


すると、何もしない状態になっちゃうんよね。


損することを怖れて・・・


最悪の場合、何もしないことが続いてしまう。


損得勘定に縛られていると、できる限り、損することを避けようとする。


その一方、得を得るためには、結果を出し、勝ち続けなければならない。


だが、勝ち続けることができない人もいる、苦手な人もいる。


周囲との顕著な競争に嫌気がして。


自分の力が及ばなくなって。


多くの人に抜かれてしまって。


損得勘定を軸に生きていると、心が疲弊する人もいるんよね。


だったら、損得勘定を軸にするのを止めたら良い。


すると、ものすごく心が楽になるから。


そして、その一つの方法が、どんな自分も大丈夫と思うこと。


どんな自分も大丈夫と思って生きれば、損得に縛られることなく、比較的、心を自由にして生きることができる。


なんせ、損得勘定に縛られることがなくなれば、良い悪いの思い込みも一緒になくなるから。


良い結果を出した自分も大丈夫。


芳しくない結果を出した自分も大丈夫。


どちらも大丈夫となれば、すべてが大丈夫となる。


それだけで、損することを避けようとして一喜一憂することがなくなる。


これだけでも、心はすごく穏やかになり、選択肢は格段に増える。


ただ、当然のように綺麗事と思う人がいるかもしれない。


人生は、そんなに甘くないと思う人がいるかもしれない。


そう思う人はそれでエェんよね。


だって、その人の人生だから。


おそらく、腑に落ちないのは芳しくない結果を出して、なぜ、大丈夫と思えるのか、ということであろう。


勝ちにこだわっている人ほど、完璧を目指している人ほど、この概念は受け入れにくいもの。


だが、単に、綺麗事で言っているわけではない。


確かに、芳しくない結果を、表面上だけ見ると、良くないことのように思ってしまう。


でも、本当に良くないことだけなのか。


実は、そうではないんよね。


だって、芳しくない結果を出したことで、そこから新たなことを学び、新たな糧を身に着けることができるから。


芳しくない結果が、新たな刺激となり自分を成長させてくれている。


とも考えることができるのではないか。


それに、芳しくない結果が出るのは、単なる自分の力不足。


誰のセイでもない。


なんせ、力があれば、素晴らしい結果が出るはずだから。


仮に、芳しくない結果を出したくないのであれば、自分が強くなるしかない。


自分が強くなれば、芳しくない結果は自ずと減っていくはずだから。


でも、自分を強くするためには、芳しくない結果を出す必要がある。


なぜなら、それが、自分の刺激となり、自分を成長させてくれるものになるから。


芳しくない結果を出しても、これは自分を成長させてくれている。


と思うことができれば、芳しくない結果を出したとしても、大丈夫と思うことができるのではないか。


表に出る結果だけがすべてではない。


本質をとらえれば、どんな経験でも自分の糧にすることができる。


ただし、自分に学ぶ姿勢があるという条件付だが・・・


ともかく、良いことが起きた自分は大丈夫。


芳しくないことが起きた自分も大丈夫。


こんな姿勢で生きるだけで、心は軽くなる。


しかも、今まで損すると思って避けていた選択肢が、やれる選択肢に変わる。


心を少し変えるだけで、変化は起きるもの。


案外、そうなっているんやで・・・



サコヤンの独り言

「どんな自分でも大丈夫と考えると、何があっても大丈夫と思えるようになる」