曖昧な言葉を頻繁に使っている自分がいる。


このことに気付いて愕然とした。


だって、曖昧なのは言葉だけではないから。


行動だって曖昧になっていることが多くなっている。


今思えば・・・


いつしか、ハッキリさせずに曖昧にしてしまう習慣ができていた。


おそらく、小さい時から身に着けていた習慣なのだろう。


そのため、今の今まで気付くことができなかった。


あまりにも当たり前になり過ぎていて・・・


もちろん、曖昧の全てが悪いと言うつもりは毛頭もない。


なんせ、曖昧さにもちゃんと良いことがあるから。


たとえば、曖昧さがあるからこそ、人間関係が上手くいっていることって多々ある。


何でもかんでもハッキリさせておくと、かえって、人間関係がギクシャクして落ち着かなくなってしまう。


曖昧にしておくことは、一種の潤滑油的な役割をしている。


ただ、人間関係においては、曖昧さが役に立つ場合もある。


けど、自分のこととなるとそうではない。


だって、曖昧にすることで、物事の大切な部分や本質をちゃんととらえることができなくなるから。


自分の人生をごまかすことになるから。


どんな人にだって、今やるべき重要なことが存在している。


だが、それをやっている人というのは、そう多くはない。


なんたって、やるべき重要なことを曖昧にして、見ないようにしているから。


重要なのは頭では分かっているのだが、それと向き合いたくなくて、何かと理由を付けて先延ばしにする。


そうやって、ハッキリさせることから逃げているんよね。


曖昧にしておくことが、なにかと便利だから。


でも、曖昧なままにしておくと、いつまで経っても、今自分がいる環境はまったくといって変わりやしない。


むしろ、現状維持か、現状よりも下がっていくだろう。


だって、大切なことを曖昧のままにしておいて、そんなに重要なものではないものに取り組んでいるんやから。


冷静に考えてみると、自分の人生において優先順位の低いことばかりをやって、自分の人生が好転するとは考えにくい。


自分の人生が好転するためには、優先順位が高いものをやる必要がある。


それなのに、優先順位の高いものほど、曖昧にし続ける。


というバカげたことが起こっている。


無意識の内に曖昧な表現を頻繁に使っていたおかげで、無意識の内に曖昧な行動を続けていた自分。


曖昧な行動には、曖昧な結果が出て、良い結果が出ることなんて滅多にない。


それが現実なんやで。


人間関係においては、曖昧な言葉を使うことも大事。


だが、自分に対しては、弊害となる場合が多い。


なんせ、自分が使っている言葉どおりの世界が現れるから。


曖昧な言葉を使えば、それは、曖昧な行動につながる。


そして、曖昧な結果or芳しくない結果につながる。


それでは、今の環境に変化が起こりやしない。


ゆえに、普段使う言葉をちゃんと意識して使いなよ。


できる限り、曖昧な言葉は、自分に対して使わないよう意識しなよ。


曖昧にしておいて、良いことなんてあまりないんやから。


自分の人生は自分でしか切り拓くことができないんやで。


だから、一つ一つ明確にして、着実に前に進みなよ。


曖昧にしたままだと、後手後手になってしまうから。


また、時の経過と共に、後悔してしまうから。


自分にとって、何が優先順位が高くて、何が優先順位が低いのかをちゃんとハッキリさせなよ。


ハッキリさせると、今何をした方が良いのかをちゃんと理解することができるから。


ハッキリさせないから、いつまでも同じような日々を過ごしてしまうんやで。


せっかく奇跡の連続でこの世に命を宿したんやから、そんな人生ではもったいない。


こんな何気ない人生を過ごすタメにこの世に生まれてきたわけではないんやで。


もっと、自分の力を発揮できるように、自分の可能性が開けるように生きなよ。


そのために、自分にとって重要なことをハッキリさせる必要があるんやで。


曖昧な言葉を使っている場合ではない。


曖昧な行動をしている場合ではない。


日々の忙しさにかまけて、曖昧に過ごしている場合ではない。


人生には、もっと大事なことがあるんやから。


そもそも、曖昧に過ごす時間なんてないんやで。


なんたって、人生は、思っている以上に短いんやから。


しかも、人生は一度きりなんやから。


今以上に、有効に人生を生きなよ。


それが、自分のタメになるんやから。


とにかく、自分にとって重要なものは何なのか。


ハッキリさせるんやで。


すると、今よりも、一日一日が楽しくなるはずじゃから。



サコヤンの独り言

「何が重要なのかハッキリさせな」