目の前のことが上手くいこうといかまいと、長い人生を考えると微差に過ぎない。
なのに、目の前のことが上手くいかなかったら、この世の終わりのようにとらえるから、目の前のことに不安を抱き、プレッシャーを感じる。
実際、上手くいかなくても、どうってことない。
なんせ、上手くいかなかったくらいでは、命を落とすことなんて滅多にないから。
上手くいかなかったら、上手くいかなかったで、その時考えて、自分が歩む道を選んで進めばエェ。
ただ、それだけ。
よく考えてもらいたい。
受験生が、大学受験に落ちたからといって、人生に大きな影響を及ぼすであろうか。
そんなことはない。
予備校に通うことになるはいえ、その期間は、人生の中のほんの数%に過ぎない。
こんなのは、微差に過ぎない。
世の中の多くのことは、案外、こんなもの。
たとえ、目の前のことが上手くいかなくとも、長い人生を考えてみると、どうってことないものばかり。
なのに、顕微鏡で見るかのように拡大して目の前のことをとらえるから、上手くいかないことが許せないものになってしまう。
けど、実際は、何か失敗したところで、いたって健康でいられる。
ゆえに、目の前にあることで失敗したところで、どうってことない。
失敗を怖れるがあまり、大げさにしているに過ぎない。
それに、一つの失敗をしたことで、それが自分の人生の転機になる場合だってある。
たとえば、受験生であれば、予備校で素晴らしい人と出逢い、自分が大きく変わるキッカケを得たなど…
自分が望まずに進んだ道に、自分に大きな影響を与える出逢いがあることもあるんやで。
だから、結果だけでは、失敗か成功かを言うことはできないんやで。
そもそも、目の前のことが上手くいこうと、上手くいかまいと、どちらであろうと、出た結果が自分の進む道なのではないか。
出た結果が、正解なんちゃうかなぁ…
上手くいけば、それが自分の正解であり、上手くいかなくても、それが自分の正解。
どんな結果が出ようと、それを素直に受け入れる。
この姿勢が大切なのだろう。
なのに、良い結果を出したいと欲を抱くから、良い結果を出すことが善で、芳しくない結果を出すことが悪ととらえるようになってしまっている。
こういった想いが根本的にあるがゆえに、不安やためらいが生じている事実。
元々は微差による問題。
それを大げさにすることで、大局を見失う。
目の前のことなんて、人生全体を考えるとチッポケなもの。
チッポケなものに、わざわざ、自分のすべてがかかっているかのようにとらえる必要はない。
そんなことをすれば、出せる力も出せなくなっちゃう。
出た結果を、素直に受け入れる姿勢で生きればエェ。
それで、なんとかなるから。
とはいえ、何もしなくていいわけでもない。
やれることはやって、後は結果を待つ。
それが大事。
何かが上手くいけば、それは、自分の人生の勲章。
何かが上手くいかなくとも、それは、自分の人生の勲章。
どちらであれ、自分に深く刻まれる素晴らしいものなんやで。
そして、上手くいかなかったものほど、案外、人が喜ぶネタになっちゃう。
自慢ネタでは人は不愉快になるが、自虐ネタではその場が盛り上がる。
案外、そんなもの。
自分にとっては一つの失敗が、時を経て、人を喜ばせるネタとなる。
こう考えれば、失敗は単なる失敗ではない。
使い方次第で、失敗という経験は、人が喜ぶ道具となるんやで。
上手くいかなかったことを恥ずかしがるのではなく、上手くいかなかったことを誇りに思う。
その姿勢が、人の喜びへとつながる。
ゆえに、目の前のことが上手くいこうが、上手くいかまいがどうってことない。
上手くいけば、その道を進めばエェし、上手くいかなければ、それをネタにしながら、また違う道に進めばエェ。
人生は、上手くできていて、自分の道は、いくらでも用意されている。
何かが上手くいかなかったくらいで、次に進めないことはない。
むしろ、上手くいかなかったからこそ、人が驚くような道に進めている人も世の中にはたくさんいる。
ゆえに、何が良くて、何が悪いかなんて、後になってみなきゃ分からないものなんやで。
だから、目の前のことに、ビクビクする必要はない。
どんな結果が出ようと、その時の自分のベストしか出ないようになっているんやから。
堂々と臨んで、あるがままの結果を受け入れたらエェ。
それが、自分にとって一番なんやから。
良い結果も、芳しくない結果も、長い人生を考えたら、微差に過ぎない。
そのことを、意識して過ごしなよ。
すると、多くのことが、気楽にやれるようになるから。
サコヤンの独り言
「良い結果だろうと、芳しくない結果だろうとどちらだってエェ」