できないからこそ、できるようになるためにやるんやで。
できないことは、放っておいたらいつまで経ってもできないまま。
けど、一回やり、二回やりと回数を増やしていけば、たとえ、できないことであってもできるようになっていく。
案外、そんなもの。
人の能力は、優れているから、それくらい、なんてことない。
だから、できないことがあれば、できるようになるために回数を増やしていけばエェ。
ものすごく単純、かつ、ものすごく的確。
なのに、そういったことを忘れて、できないからやらない。
といった誤った思い込みを抱いたまま、長い間過ごしていた。
そのため、たくさんのチャンスを逃していた。
だって、やればできるようになるのに・・・
なんと、もったいない時間を過ごしていたのだろう。
いつしか、できないことや、失敗することが、自分の中で、やってはいけないもの、というイメージが強く固まっていたのだろう。
おそらく、今までに経験した失敗の中で、何かが強く自分の心に深い傷を与えたことで・・・
何かの失敗で、嘲笑されたのかもしれない。
恥ずかしい想いをしたのかもしれない。
蔑まれたのかもしれない。
ひどく怒られたのかもしれない。
その理由は、今では覚えていないが、何かしらの理由で、できないこと=悪、失敗=悪といったようにとらえている自分がいる。
だからこそ、できなさそうなものや、失敗しそうなものを、事前に避けてしまっている。
過去の芳しくない経験のようなことを経験しないように、自分の防衛本能が働いて・・・
ゆえに、今までの自分の中には、できそうにないものや、失敗しそうなものというのは、選択肢としてなかった。
そのため、自分は、いつもできそうなものを、できるとわかっているものを、上手くやる確信があるものばかりを知らず知らずのうちに選んでいた。
それが、何を指すのか、意味も分かることなく・・・
だが、今なら、その意味が分かる。
それは、ぬるま湯の状態から出ることが怖くて、ぬるま湯の中だけで生きることを選んでいたということが・・・
人は、できることばかりをしていても、その人の力が伸びることはない。
むしろ、下がっていく一方であろう。
なんせ、できることばかりやっていたら、必ずといって、手を抜いてしまうから。
手を抜いた状態で過ごし、自分が進化できるほど甘くはない。
できないからこそ、失敗をし、失敗を繰り返すのであって、失敗そのものは何ら悪いものではないんやで。
だが、過去の記憶が、失敗を悪いものと決めつけている、思い込んでいる。
それが、自分を挑戦から遠ざけている。
なんたって、挑戦には失敗がつきものだから。
だから、自分が失敗に対する印象を変えない限り、自分は失敗することはおろか、挑戦することもできないだろう。
小さい時は、何か失敗をすると、それは笑われる対象となり、冷やかしの対象になったりする。
こういったことをちゃんと自分で受け止め、納得できなかった人は、それから、極力、失敗をしないようにする。
また、同じようなことを味わいたくないから。
けど、子供の時に感じた印象を、いつまでも引きずるものではない。
それは、自分を傷つけ、自分を苦しめるだけだから。
むしろ、大人の世界では、小さい時のように、人の失敗を嘲笑したり、冷やかしたりする人は結構少ない。
なんせ、失敗は、誰だってすることを理解しているから。
小さい時のように、一つの失敗を気にするものでもない。
失敗なんて多くの人がしているものなんやから。
それに、一つの失敗は、一つの挑戦の証なんやで。
失敗するのが怖くて、何も挑戦せず失敗が一つもない人よりも、何度も挑戦して、たくさん失敗している人の方が、人間的に魅力な人が多い。
一つの失敗が、一つの味を創り上げている。
だからこそ、失敗が多い人ほど、その人の器がでかかったりする。
そのため、失敗=善であり、失敗=良であり、失敗=やってもエェものなんやで。
今までの誤った思い込みを修正しなよ。
それが、自分にとって大きな成長につながるから。
どんなことも、最初はできないもの。
だからこそ、やるんやで。
もちろん、やれば失敗する。
けど、失敗を重ねていれば、できるようになる。
ゆえに、できないことこそ、自ら飛び込んででもやりなよ。
こういったことが、自分の器を大きくし、人として深い味を出すようになるから。
失敗を繰り返し、そうやって、できるようになることで、人としてワンランク上がっていくんやで。
だから、何にでも挑戦し、何回でも失敗したらエェ。
こうやって、できるようになっていくんやから。
何事も・・・
とにかく、できるようになるために挑戦し、そして、失敗を繰り返すんやで。
失敗を繰り返せば、自ずとできるようになっていくから。
失敗を受け入れなよ。
小さな時の印象を修正しなよ。
それが、自分の道を切り拓くカギとなるんやから・・・
サコヤンの独り言
「失敗は良いものなんやで」