人は、未熟な存在として命を授かる。


なんたって、生まれたばかりでは、ほとんど何もすることができないから。


立つことはおろか、頭を支えることだってできやしない。


自然界には、生まれてすぐ立つ赤ちゃんもいるというのに・・・


そもそも、人は、生まれながらにして未熟な存在なんよね。


だが、未熟だからこそ、与えられた能力がある。


それは、青天井に成長し続ける力と、計り知れない可能性。


人はどこまでも成長し、どこまでも大きくなれる。


外見の成長はある程度までいけば止まってしまうけど、中身は限界なくどこまでも伸び続ける。


磨けば磨くほど、成長し、それに応じて、可能性も広がっていく。


それが、人の素晴らしい能力なんよね。


未熟だからこそ、どこまでも成長し続けることができる。


なんせ、未熟というのは、まだまだやることがある証じゃから。


ただ、人の場合、いくつになっても成熟することはない。


だって、世の中には、知らないことがたくさんあり、学ぶことがたくさんあるから。


一生をかけて学んだとしても、微々たるもの。


人一人の一生では、すべてを学び切れない。


だから、命が終わるまで、ずっと学び続けることができる。


と考えると、人は、生涯未熟なまま生きることになる。


どんなに頑張ろうと、成熟することはない。


それが事実。


これをどうとらえるかは、ものすごく大事。


成熟することがないんやから、頑張っても仕方がない、程ほどにしようと思うか。


成熟しないと分かっていても、今の自分が未熟だからこそ、少しでも成熟な状態に近づくために懸命に生きようと思うか。


それによって人生は大きく異なるだろう。


前者は、現状維持もしくは衰退の道をたどる。


後者は、進展もしくは進化の道をたどる。


とらえ方一つで道が大きく分かれる。


あなたは、これから、どちらの道を選び、歩んでいくのか。


今まで、どんな道を歩んできたのかは一切関係がない。


これからのあなたはどうしたいのか。


それが大事。


多くの人が最初の段階では、夢を抱き、目標を掲げ、成長し続けよう、という想いがある。


だが、時の経過と共に、その想いを萎ませてしまう。


描いていたイメージと現実とのギャップを感じて・・・


様々な人に流されてしまって・・・


自分に甘え、甘えた状態に慣れてしまって・・・


いつしか、頑張らない自分を、上を目指さない自分を、諦める自分を正当化しちゃう。


自分が頑張ったところでどうなるわけでもない。


と、妥協し、半ば諦めることで・・・


確かに、頑張るだけでは、報われないこともあるし、叶わないことだってある。


けど、頑張らない限り、道は拓くことはない。


道を拓いている人の多くが、何かしら、懸命にやっている。


それは、まちがいない。


あなたは、今のままでこれからも過ごしていいのか。


それで後悔はしないのか。


自分自身に納得はできるのか。


即座に「Yes」と答えることができるのなら何も言うことはない。


答えることができるのなら、あなたは、今の道を歩み続けたらエェ。


きっと、その道はあなたが幸せになれる道だから。


でも、仮に、「Yes」と答えることができないのなら、一度、自分を見つめ直した方がエェだろう。


だって、かなりの高い確率で、自分の想いに逆らって生きているから。


そもそも、人は生まれながらにして未熟者。


だから、いくつになっても、間違うし、失敗もする。


それは、それでエェんやで。


なんせ、人には、そういったことを修正する力が備わっているから。


ゆえに、間違ったらやり直せばエェ。


失敗したら修正したらエェ。


単にそれだけ。


今までがどうであれ、修正することはできる。


これが、未熟者である人に与えられた能力なんやで。


未熟であることをあなた自身が受け入れてごらん。


そうすれば、失敗だって間違いだって、受け入れることができるから。


だって、未熟者に、失敗や間違いはつきものだから。


それを、無理して、完璧にやろうだとか、上手くやろうだとか、スケベ心を出す必要はない。


そんなもの、しょせん、人の評価を気にしてやっているにすぎない。


あなたは、未熟なままでエェんやで。


失敗してもエェんやで。


間違ってもエェんやで。


それが現実。



サコヤンの独り言

「永遠なる未熟者であれ」