道を拓けるために、ためらっているものをやる。


なぜ、ためらっているものをやると、道が拓けるのか。


それは、ためらっていることをやると、それが、自分にとって本当に大切なものかが分かるから。


本当に大切なものであれば、どんな結果が出ようとも次につながり、ずっと続けていくはずじゃから。


だが、本当に大切なものでなければ、その次にはつながっていかない。


「何か違う」


という違和感を抱いて・・・


ためらっているうちは、やらないうちは、それが、本当に大切なものなのかがハッキリとは分からない。


たとえ、大切なものだと思い込んでいたとしても・・・


それは、自分の思い込みである場合があるから。


とにかく、やってみなければハッキリしない。


だが、やってみたら、必ずといってハッキリする。


それが、自分にとって本当に大切なのかどうかが・・・


やっぱり、大切なものであったのなら、これからもそれを続けていけばエェ。


きっと、道が拓けていくはずじゃから。


仮に、大切なものではないと気づいたなら、それを手放して、他の道を歩めばエェ。


手放せば、そこにスペースが生まれ、新たなものが入り、また、別な道が見つかる。


だから、どんな結果が出ようとも、道が拓けるものなんやで。


ゆえに、ためらっていることこそ堂々とやればエェ。


決して、ためらってやらないことで得をすることはないんやから。


では、どうしてためらってしまうのか。


得することもないのに・・・


それは、ある思い込みが大きな原因となっているんよね。


多くの場合、ためらうことというのは、その人にとってものすごく重要なものなんよね。


重要なものだからこそ、ためらっちゃう。


重要なものでなければ、割り切ったり、諦めたり、妥協することができる。


大切だからこそ、こういったことができない。


大切なものだからこそ、自分の根幹と思っているものだからこそ、失いたくない、という想いがはたらく。


だって、それを失えば、自分が自分でいられなくなるような気がするから。


ためらっていることをやって、仮に、失敗したら、この大切なものを失うのではないか。


そんな想いが、やることを躊躇させている。


だが、自分の心はやることを望んでいるんよね。


心はやることを望み、頭はやらない方がエェ、と考える。


ゆえに、ためらってしまう。


心と頭に統一性がないから。


ただ、こういう場合、頭の方が、過剰に不安をあおっている場合が多い。


実際は、どうってことないのに・・・


あたかも、やらない方がエェ、というのを正当化させるためのオーバーな演出に過ぎない。


だって、よくよく考えてみれば分かることだが、自分にとって本当に大切なものであれば、一度失敗したくらいで、サッパリと諦めることが、止めることができるのだろうか。


大切なものであればあるほど、そんなことはできやしない。


仮に、簡単にできるのであれば、それは、自分にとって大切なものではない。


なんせ、本当に自分にとって大切なものというのは、何回失敗しようと、堂々と続けていくものだから。


何かの失敗や人の評価で、続けるかどうかを決めるものではない。


だから、ためらっているものがあれば、胸を張ってやればエェ。


もし、そこで終わってしまえば、しょせんその程度の想いでしかなかったんやから。


大切でないものを大切と思い込んでいたことに気づくことができれば、それは幸せなことなんやで。


なんたって、今まで大切と思い込んでいたものを手放して、別な道を歩むことができるんやから。


そのため、ためらっているものをやって、失えるのであれば、失った方がエェんやで。


なぜなら、その方が、自分のためになるから。


ためらっていることをやると、それが大切なものなのかどうかが、100%ハッキリする。


ハッキリさせるからこそ、道が拓けていくんやで。


大切なものであればそのまま進めばエェし、大切なものでなければ別な道に歩めばエェ。


ただ、それだけ。


ためらっている中途半端な状況だからこそ、上手くことが運ばないんやで。


また、ためらっている中途半端な状況だからこそ、今に踏み留まることになるんやで。


ゆえに、自分の想いをハッキリとさせなよ。


それだけで、多くのことが変わっていくから。


大切と思っているものを失いたくない、という想いが中途半端な想いを生んでいる。


ただ、固執することはないんよね。


失えるものであれば失えばエェ。


本当に大切なものは、そう簡単に失えるものではないから。


あえて、自分が意識するものではない。


意識しなければ、残らないものなんて、本当に大切なものではないんやで。


単に、大切だと思い込みたいだけなんやから。


多くのことを失ったとしても、それでも、自分に残るものこそが、本当に大切なものなんやで。


だから、ためらっているものがあるのなら、堂々とやればエェ。


それは、自分にとって大切なものであるかどうかを知るための一種のフルイなんやから。


フルイにかけて、自分の想いをハッキリさせればエェ。


それが、自分の道を拓けることにつながるんやから。



サコヤンの独り言

「失えるものであれば失えばエェ」