未知なる世界は喜びの連続。
なんたって、見るもの、聞くもの、やるもの、すべてが新鮮に感じるから。
何をしても、心が動き、感情が揺さぶられ、刺激を受ける。
成長する環境と考えれば、もってこい。
だって、すべてのことから学ぶことができるんやから。
上手くいっても、上手くいかなくても、今までの自分にない経験が積み重なる。
しかも次から次へと、学ぶ対象があり、尽きることがない。
まさに、喜びが次から次へとやってくるよう。
ものすごくありがたい。
そして、未知なる世界というのは、自分の意識次第で、自分の行動次第で、いくらでも見つけ体験することができる。
なんせ、この世の中には、一生を通しても経験し切れないほどたくさんの素晴らしいものがあるから。
ゆえに、未知なる世界には、自ら飛び込んででも味わった方がエェ。
まちがいなく、一回りも二回りも大きく成長できるから。
人には知的欲求というものがあり、知らないことを知ることって最高の喜びなんよね。
せっかく、この世に生まれてきたからには、自分の知らないことをドンドン追求しようではないか。
どこまでも自分を成長させようではないか。
それができるのは、人だけなんやで。
知らないことを知ることは、やったことがないことをやることは、いくつになっても喜びを感じることができる。
未知なるものに対しての憧れがあるのか、非常にワクワクする。
自分が未だ知らないものに出逢うと・・・
だから、未知なるものを、経験したことがないものを素直に受け入れてごらん。
そこに向かう自分を認めてごらん。
それだけで、一段と成長が加速するから。
未知なるものは、未経験なものは、自分を進化させる起爆剤なんやで。
そのため、逃げることも、怖れることも、怯えることもない。
だって、自分の味方なんやから。
自分を成長させるために、わざわざ自分の前に現れてくれたんやから。
そこを勘違いすんなよ。
未知なるものを、未経験なものを、自分の敵と思えば、どうしようもない敵となるんやから。
自分のとらえ方次第で、味方にも敵にもなる。
だったら、味方として、精一杯導いてもらおうではないか。
その方が、確実に自分を成長させることができるから。
未知なる世界では、あらゆるものが学びの対象となる。
もちろん、その中には、上手くいくものもあれば、上手くいかないものもある。
でも、それでエェんやで。
どちらにせよ、自分の糧となり、人に伝えるネタとなるんやから。
特に、失敗したことは、恥をかいたことはよく覚えておきなよ。
それは、人が喜ぶ絶好のネタとなるから。
そもそも、失敗って、自らが経験をして人を喜ばせるためのネタを創っている行為なんやで。
決して、避けるものでもなければ、怯えるものでもない。
また、とんでもなく嫌なものでもない。
むしろ、喜ばしいことなんやで、楽しいことなんやで、嬉しいことなんやで。
だって、失敗一つが、後に、人を喜ばせる一つのネタとなるんやから。
そのため、皆の喜びのために、今、自分が失敗をしているんやで。
また、失敗=喜びなんやで。
そう考えると、失敗を受け入れることができる気がしてこないかなぁ・・・
なんせ、自分の失敗が誰かの役に立つんやから。
未知なる世界に行って、上手くいけば、人の役に立つことができる。
たとえ、上手くいかなくても、後に、人の役に立つことができる。
多少の時間のズレはあるが、どちらも、人の役に立つことができる。
だからこそ、堂々と未知なる世界に行き、未知なるものに触れ、未知なるものを知り、未知なるものを体験しなよ。
なんせ、何をしようとも、そこで得た経験は、人の役に立つために使うことができるんやから。
未知なる世界には、多くの刺激があり、自分を成長させる環境が整っている。
しかも、その先では、成長した自分が待っているんやで。
自分が未知なる世界で学び、成長して大きくなるのを・・・
未知なる世界では、一つひとつが喜びであり、かつ、それが、連続で起こる。
そのため、未知なる世界は、喜びで満ちた世界なんやで。
だから、何歳になっても、自ら未知なる世界に足を踏み出しなよ。
それが、自分を成長させ続けるコツじゃから。
とにかく、未知なる世界は、喜びで満ち溢れた世界なんやで。
そのことを肝に銘じて、日々を生きなよ。
そうやって意識し、実際に、未知なる世界に飛び込んでいれば、必ず、成長し続けるから。
未知なる世界で喜びを味わい続けてごらん。
きっと楽しいから。
きっと自分に大きな変化をもたらしてくれるから。
未知なる世界は、喜びが永遠と続く、自分にとってものすごく重要な環境。
ゆえに、未知なる世界に飛び込む習慣を身に着けるんやで・・・
サコヤンの独り言
「未知なる世界に足を踏み出すんやで」