今の人生は自分だけが生きることができる。
誰だってそう。
各々にそれぞれの人生がある。
他の人は決して生きることはできない。
だから、何をするにしても、堂々とやればエェ。
たとえ、人に変な眼で見られようとも・・・
なんたって、自分の人生なんやから。
自分の人生を自分が生きるのに、人にどう思われるかを、人にどう見られるかを気にすることはない。
なんせ、気にしたところで、何か良いことがあるわけではないから。
人に良く思われようと、人に良く見られようと、周りに合わせて生きる生き方もある。
だが、そういった生き方をする場合、本来の自分を見失ってしまう。
また、人として、薄っぺらい人間になってしまうことが多い。
なんせ、人によって自分を変えていくため、自分というものを確立できないから。
八方美人的な生き方は、短期間では評価も信頼も受けるが、長い眼で見ると評価も信頼も失う傾向が強い。
人に迎合する生き方は、あまり好ましいとは言えない。
それよりも、自分というものを確立し、堂々と生きる人の方が何倍も魅力に映る。
本来は、そうやって生きるべきなのであろう。
自分の人生を楽しくまっとうするためにも・・・
ひょっとすると、自分は、今生きているこの人生を軽く考えているのかもしれない。
当たり前のように日々を過ごし、当たり前のように歳を重ねることを、当然のように繰り返していることで・・・
今生きていることを当然のように思い、明日が来るのを当たり前のように感じている。
今ある命がいつまでも続くかのように錯覚さえしている。
ゆえに、生きることにおいて、真剣になっていないのではないか。
今日という一日を疎かに使っているのではないか。
なんたって、人にどう思われるかを意識し、人にどう見られるかを気にし、肝心の自分のことにおいて集中できていないから。
仮に、自分の人生を重くとらえ大切にしているのであれば、人にどう思われるかなんて、人にどう見られるかなんて気にしている場合ではない。
だって、そんな余分な時間なんて、本来はないはずやから。
なんせ、自分が思うことをやるのに、自分がやりたいことをやるのに、どうしても多くの時間が必要だから。
自分の貴重な時間を削ってまで、周りが自分に対する評価などを気にすることはない。
その時間こそ、自分の人生を無駄にしている。
そもそも、自分の人生は長いようで短い。
案外、あっという間に過ぎていく。
やることもできることも、限られている。
なんたって、自分の時間は有限じゃから。
しかも、今ある体力がずっと続くわけではないから。
もちろん、歳を重ねるごとに衰えはある。
ただ、世の中には、体力がある内にしかできないことや、若い内にしかできないことが山ほどある。
だからこそ、つまらないことで時間を無駄にしてはならないのであろう。
なんせ、一日一日を真剣に生きたところで、できないことの方が多いんやから。
生きている間に経験できることなんて、たかがしれている。
でも、たかがしれている中で、できる限り多くのことを経験することってものすごく大切なことなんよね。
自分は自分の人生を自分らしく生きる。
たったこれだけを決めるだけで、自分を確立させることができるのではないか。
なんだかそんな気がする。
仮に、自分を確立させることができたなら、もう、人の視線や動向を気にすることはなくなるであろう。
なぜなら、人の視線や動向が気にならなくなるから。
いや、気にしている時間がないのであろう。
自分の人生を楽しむために、そんなものに時間をかけている暇がない。
それが真実。
今の自分の人生において命がある時間には限りがある。
決して、無限にあるものではない。
だからこそ、一日一日を真剣に生きる必要があるのではないか。
それが、自分の人生を楽しくまっとうすることにつながるのではないか。
自分の人生だからといって、自分の人生や時間を疎かに使ってはならない。
なんたって、自分の命というものは、奇跡的に授かったものなんやから。
多くの人が忘れがちだが、今生きていること自体が多くの奇跡が重なった結果なんよね。
奇跡的にあるこの命を大切に使うこと。
これは、すべての人の使命なのではないか。
ゆえに、人が自分をどう見るか、人が自分をどう思うかといったつまらないことを気にして、無駄な時間を使ってはならない。
なんといっても、自分の人生には限りがあり、自分ができることにも限りがあるんやから。
自分の人生を、自分が輝くために使うことってものすごく大切なんやで。
自分の人生をそのために使っても全然バチは当たらない。
むしろ、その方が喜ばれるだろう。
だから、使える時間を大切にする必要があるんやで。
もっと、自分の人生を大切に考え、大事に使いな。
一度しかない人生なんやから。
今のままでは後悔する可能性が高いんちゃうの・・・
サコヤンの独り言
「自分の人生を大事に使いな」