これからをどうしよう。
どうやって生きよう。
このままでいいわけがない。
ふとした瞬間に、こういった言葉が浮かぶ。
今の自分を見て、将来の自分に想いを馳せて・・・
ものすごく大切なことなのに、普段、意識することがほとんどない。
自分の将来のことって小さい時であればあるほど、自分の将来に期待をし、目を輝かせていたのに・・・
月日が流れ、歳を重ねれば重ねるほど、そういったことが少なくなる。
今の自分の現実を見て、将来を考えるのが怖くなってしまって・・・
なんせ、今と同じような自分が想像できてしまうから。
将来の自分を想像することは、自分の夢や希望を抱くことにもつながる。
だが、今では、夢や希望といったことでさえ抱けないことが多い。
あまりにも、先が見えなさ過ぎて・・・
将来に不安を抱いてしまって・・・
未来に目を向けなくなって・・・
だからといって、今を本気で生きているわけでもない。
ただ、自分に与えられたことを最低限にこなすばかりの毎日。
どこか、向上心に欠け、流れ作業のように過ごす日々。
自分の人生なのに、自分で生きているという実感があまりない今日。
将来のことを考えることから逃げるように、今を生きる。
そんな状態が長い間、続いている。
今を忙しくすることで、将来のことを考えないで済むような環境を知らず知らずの内に作ってしまっている自分。
でも、その間も、容赦なく月日は流れている。
まちがいなく、時は流れているのに、当の自分は一年前と大して変わっていない。
そんな感覚を抱いたりもする。
今を本気で生きているのなら、将来のことなんて、そないに考える必要はない。
だって、今を本気で生きていれば、自ずと、道は拓けていくから。
だが、今を本気で生きていないのであれば話は別。
なんせ、将来のことも考えず今を漠然と生きることは、自分の人生から逃げているだけだから。
今が、忙しいフリをして・・・
考える時間がないと、言い訳をして・・・
考えないことを正当化して・・・
自分の将来のことを考えれば、不安を抱くこともあるだろう。
焦りを抱くこともあるだろう。
現実を見つめることにもなるだろう。
良いことばかりではなく、傷つくことだってある。
ただ、だからこそ大切なんよね。
なんたって、こういったことを経ることで、より自分のことを知ることができるから。
自分は、何に不安を抱き、何に焦りを抱き、どんなことが引っかかっているのか。
そういったものが、少しずつ見えてくる。
理由が分かれば、それに対しての具体的な対処の仕方も見えてくる。
ゆえに、将来のことを真剣に意識することは大事。
そもそも、日々を漠然に生きることって、今を生きる上では、ものすごく楽なんよね。
だが、時間が経つと共に、そんなことは言えなくなってくる。
だって、楽に感じるものであればあるほど、自分を堕落させているから。
けど、その瞬間はほとんど気づくことができない。
なんたって、楽だから。
今のぬるま湯の環境に慣れてしまい、ここから出ようとは思えなくなっているから。
ぬるま湯が時間の経過と共に冷えて、はじめて、この状況が危険であることに気づく。
ただ、そこで気づいたとしても、今まで適当に過ごした膨大な時間を取り戻すことはできやしない。
人それぞれの寿命は違えど、今日という一日に与えられた時間は皆平等。
どのように使うかは自分次第。
ただ、どのように使うかで自分の人生は大きく変わってくる。
とにかく、質の濃い時間を過ごしなよ。
だって、当たり前にある時間が、実は、貴重な財産なんやから。
時間を漠然と使うことは、自分の貴重な財産を浪費していることと同じなんやで。
そのことを自覚しなよ。
この先なんて、どうなるかは分からない。
しかも、どうだってなりうる。
もちろん、これからのことを考えたところで、実際に、そうなるとは限らない。
ただ、考えることで、自分が目指すべきものができる。
たったそれだけで、今の生き方が変わる。
なんたって、どうやったら到達できるかを本気で考えるようになるから。
これが、ものすごく大事。
目指すべきものに到達することよりも何倍も・・・
なんせ、自分に変化をもたらしてくれるから。
自分が変われば、それに応じて、自分の世界も広がる。
もちろん、自分の可能性は大きくなり、答えも道も選択肢が多くなる。
だからこそ、本気になれるものを見つけることが大切なんやで。
いつまでも、自分を甘やかしてばかりではいけない。
人に頼ってばかりではいけない。
何かに依存してばかりではいけない。
自分の人生なんやから、自分の手で切り拓け。
それが、自分の人生を自分らしく生きることにつながるんやから。
サコヤンの独り言
「何でもいいから本気になれるものを見つけなよ」