一歩踏み出すこと。
ものすごく大切。
だって、一歩踏み出すだけで、今までの自分の流れが大きく変わるから。
もちろん、一歩を踏み出しただけでは、その変化には、中々、気づけないのかもしれない。
だが、まちがいなく変化が起きている。
一歩踏み出し、二歩目、三歩目、四歩目と一歩ずつ踏み出しているうちに、確実に小さな変化を実感するようになる。
案外、そんなもの。
変わりたい、自分を変えたい。
と、思う人はたくさんいる。
でも、実際に変わることができている人って、案外、少ない。
なんたって、新たな一歩を踏み出していないから。
今までと、何ら意識を変えていないから。
今までと、何ら自分の行動を変えていないから。
自分自身を何一つ変えようとせずに、自分が変わることはない。
これは、明らかな事実。
なのに、自分は何も変わることなく、より良い自分になることを望む。
そんな自分に都合の良いことを平気で思ってしまう。
リスクを取ることなく、良いものを得ようとする。
そんな、おいしい話などめったにありゃしない。
何かを得るには、自分が変わるには、それなりのリスクを取る必要があるもの。
なんたって、ほとんどのことは、リスクに応じて得るものが決まってくるんやから。
リスクが少なければ、得ることは少ないし、リスクが大きければ得るものも大きい。
特に、よりよい自分になろうとしている時には・・・
自分が変わる時には、どうしても、今までの考えや意識、行動といったものを手放す必要がある。
なんせ、何かを得るには、何かを手放す必要があるんやから。
何かを握ったまま、新たな物を握ることなどできやしない。
それが現実。
だが、今握っていることを手放すことって、結構難しかったりする。
なぜなら、愛着があり、思い入れが強くあるから。
しかも、それと共に過ごしている時間が長ければ長いほど、そういったものは強くなる。
想いが強くなればなるほど、手放しにくくなる。
ある想いが、時の流れと共に、執着として自分に残る。
そして、この執着がかなり手強い。
だって、どんなに手放そうとしても、執着している原因を探りあてなければ、中々執着を取り外すことってできやしないから。
この執着が強く残っている人ほど、新たな一歩を踏み出せなかったりする。
なんたって、執着が邪魔をして、意識を変えることができなければ、行動も変えることができないことが多いから。
一歩を踏み出す時、意識を変えることなく、すんなりと行動に移せる人もいる。
また、意識を少しずつ変えて、ようやく、行動に移せる人もいる。
もしくは、強制的に環境が変わり、一歩を踏み出さざるを得ない状況になる人もいる。
多くの場合、一歩を踏み出す時には、このどれかのパターンに属するのではないか。
ただ、どのパターンでも構わない。
だって、大切なのは、一歩を踏み出すことであって、手段ではないから。
でも、共通して、何らかの変化があり、一歩を踏み出すことができる。
というのは、言えるのではないか。
もちろん、一歩を踏み出したところで、自分の能力といったものは、ほとんど変わることがない。
だが、まちがいなく、今までとは、流れが変わる。
見るもの、出逢うもの、経験するもの、すべてが変わる。
その一つひとつを、自分の中に取り入れながら、生きていると、ある時、自分の変化に気づけるようになる。
そこで、初めて、一歩を踏み出したことが、自分の流れを変えたことを理解する。
案外、そんなもの。
新たな一歩は、小さな小さな一歩。
でも、そこからすべてが始まっている。
たかが一歩、されど一歩。
一歩と言っても、馬鹿にはできない。
なんたって、どんな大きなことも、最初の一歩がなけりゃ、存在することはできていないんやから。
新たな一歩には、自分の流れを変える力がある。
だからこそ、新たな一歩を踏み出すことはものすごく大事なことなんやで。
ゆえに、何か想うことがあるなら、一歩を踏み出しなよ。
今までと行動を変えてでも、一歩を踏み出しなよ。
ただ、今すぐ行動を変えることができないのなら、少しずつ意識を変え、執着を手放し、そして、行動を変え、一歩を踏み出しな。
必ず、自分にとってプラスになるから。
そもそも、自分の流れを変えることができるのは、自分が踏み出す一歩だけなんやで。
とにかく、どんな方法でもいいから、一歩を踏み出しな。
より楽しい人生を歩むために・・・
より成長する人生を歩むために・・・
より輝く人生を送るために・・・
自分を信じて、一歩踏み出せ。
サコヤンの独り言
「変化を怖れず一歩を踏み出せ」