今まで、どう生きていたのかなんて関係ない。
なんせ、どんな過去も過ぎたことだから。
大切なのは今。
今をどう生きるのか。
これからをどう生きるのか。
なんたって、人は、誰もが今を生きているんやから。
過去の想いを引きずって今を疎かにすることは、未来に想いを馳せて今に集中できないのは、まさしく愚の骨頂。
だって、人は、過去にも未来にも生きることはできないんやから。
今を生きることしかできないんやから。
ただ、人は、今を生きているのに、今をどう生きるのかを考えて生きている人は、そないに多くはない。
多くの人が、周りに流されるままに、時に流されるままに、過ごしている。
与えられたことをこなすばかりの毎日。
そうやって、月日が流れ、歳を重ねていく。
今をどう生きるのか。
これからをどう生きるのか。
こういうことを考える暇さえない。
いや、余裕がないのかな・・・
目の前のことに追われていて・・・
自分の人生を何も考えずに、漠然と生きる。
それが、果たして、自分のためになるのであろうか。
そうやって行きつく先が、本当に自分が望むところなのであろうか。
馬車馬の様な自分でいいのであろうか。
自分という人間は、この世でたった一人しかいないのに・・・
もちろん、自分の人生だってこの世で同じものは二つとてなく、たった一つしかない。
なのに、ロボットのように生きていいのであろうか。
心を失ったまま生きていていいのであろうか。
多くのことを諦め、妥協し生きていいのであろうか。
もっと、自分のことを考え、自分の人生をどう生きるかを考えることって、すごく大切なのではないか。
いつしか、自分を見失い、生活するために生きている自分。
たくさんのことを諦め、妥協し、人生に対してやりがいを失っている自分。
夢を持ち、夢を叶えようとすることを止めてしまった自分。
生きていく中で、ドンドン堕落してしまっている。
様々なことを経験し、実力のある人を目の当たりにし、自分自身に限界を設けることで・・・
ただ、よくよく考えてみると、夢や希望を抱いて今を生きることよりも、諦める理由ばかりを探している自分がいる。
何かのキッカケで後ろ向きになり、妥協する理由ばかりを求めてしまっている。
まるで、諦めることを正当化するかのように・・・
どんなに理由を挙げたところで、諦めることを正当化することなんて、本当はできやしないのに・・・
もちろん、そんなことは自分自身が一番分かっているであろう。
ただ、楽な道を選ぼうとしているだけ。
理由もなく諦めると格好悪いと思っているため、何かそれらしい理由が欲しいだけ。
そもそも、人は、普通に生きていても、後ろ向きになってしまうことがある。
しかも、そういう場合、そのこと自体に自分が気づいていないことだってある。
それが、人生において怖い面でもあり、面白い面でもあるんよね。
後ろ向きになっているかどうかは、今の自分の言動を見れば一目瞭然であろう。
ただ、後ろ向きになっていようと、なっていなかろうと、今の自分を見つめ、今の自分にとって最良の選択をする。
それが、今を生きるということになるではないか・・・
何も、難しいことをすることはない。
単に、今の自分でできる範囲のことで、最良の道を選べばいいだけ。
それを考えて、意識して、行動していると、自ずと、今を生きることになる。
そないに難しいことではない。
チョイト、意識すれば誰にだってできること。
ただ、今までが、自分を見失い、あまりにも忙しくしていたため、考えることや意識することをしていなかっただけなんよね。
日々の中で、自分のことを考えたり、意識する時間を取り入れるだけで、まちがいなく、自分の流れは変わっていく。
案外、そんなもの。
だからこそ、もっと自分のことを大切にして、今を生きようではないか。
これからを生きようではないか。
今ある人生は、自分が生きるものであって、自分が輝くためにあるものなんやで。
決して、馬車馬のように、ロボットのように生きるためにあるものではない。
自分を大切にする。
その意識さえあれば、今を生きることだってできるようになってくるから。
少しずつでいいから、もっと自分のことを考える時間を取ろうよ。
それが、自分のためになるんやから・・・
なんたって、今ある人生は、自分の人生なんやで。
そのことを自覚して、普段から過ごしなよ。
きっと、少しずつ少しずつ変化が現れるようになってくるから。
とにかく、どんな時も自分のために生きなよ・・・
サコヤンの独り言
「もっと自分のことを考える時間を取りいれよう」