この行動は本当に自分の心を喜ばせることになるのか。
何かをやる時、やっている時、自分自身に問いかける。
ものすごく大切なこと。
Yesと応えられるならそのままやればエェ。
仮にYesと応えられないのなら改めて考え直せばエェ。
ものすごく単純。
だが、この考えるという行為そのものが、次第に少なくなっている。
それが現状。
なんたって、一日を流れ作業のようにこなし、効率化をドンドン進めているから。
そのため、考えるという行為が徐々に省かれていっている。
社会に求められていることは、与えられたことを正確にこなすことであって、自分の意見や判断、考えを自由に出すことではない。
むしろ、自分の意見や判断、考えといったものを素直に出すと、変な眼で見られることだってある。
だから、自分を殺し、自分を出さずに生きることを選ぶ人は多い。
なんせ、自分を出せば出すほど、衝突を生む可能性があるから。
仕方がないとはいえ、変に割り切って、自分を抑えてしまう。
自分の感情を殺してしまう。
自らが考えることを止めてしまう。
そんなことが平気で行われている。
それが、自分にどんな影響を及ぼしているのかを知りもせずに・・・
マイナスな習慣は、自分でも気づかないうちに、自分自身に大きなダメージを与えている。
しかも、自分の心を悲しませ、自分の心を泣かせている。
このような状態でこの先も同じように生きていていいのであろうか。
このような状態でこの先も生きて、今後、楽しい人生を送れるのであろうか。
おそらく、答えはNoであろう。
自分の心が喜ぶ頻度や割合が一日の中で少ない状態で、楽しい人生を送ることは難しい。
なんたって、今ある自分の世界は、自分の心が大きな影響を与えているから。
心が喜んでいるのであれば、それに応じた世界が自分に現れているはずじゃから。
逆に、心が悲しんでいるのであれば、それに応じた世界が自分に現れているはずじゃから。
普段見ることができない心は、自分の世界を見ることで感じることができる。
なんせ、自分の心を投影したものが今の自分の世界じゃから。
友達も、恋人も、今やっていることさえも、自分の心に応じている。
それが現実。
その証拠に、自分の成長(心の変化)に応じて、友達も出逢う人も、やることも多くのことが変わっているはずじゃから。
だからこそ、自分の心が喜ぶことなのか、意識することは大事なんよね。
なぜなら、自分の心を喜ばせていると、次第に、自分の世界が広がっていくから。
見るもの、出逢うものすべてが自分のためになり、ドンドン自分の人生が好転していく。
そんな不思議なことが起こっちゃう。
たかが心、されど心。
心を馬鹿にしてはいけない。
心を軽く扱ってはいけない。
心を無視してはいけない。
だって、心というものは、自分にとってものすごく重要なものだから。
そして、心を大切にするということは、自分の想い、考え、意見、意識といったものも大切にすることをも意味する。
なんたって、こういったものは、心と連動しているから。
ゆえに、自分の想い、考え、意見、意識といったものを抑え、殺していると、それがそのまま心にまで伝わってしまう。
これは、まちがいなく、自分の心を悲しませ泣かせるであろう。
心を悲しませ泣かせることは、決して良いこととは言えない。
そのため、できる限り、心を喜ばせることを意識して取り組みなよ。
そもそも、自分は自分として生きているが、自分に対して何をしてもいいわけではない。
だって、自分は生かされているんやから。
ちょっと考えれば分かることだが、今ある自分の命は、奇跡の連続の先にある。
何か一つズレていれば、今の自分はこの世に存在しなかったであろう。
この世に誕生し、命があり、今生きているということは、ものすごく素晴らしいことなんやで。
だからこそ、この大切な命を、自分が喜ぶように、自分の心が喜ぶように使おうではないか。
自分の心を喜ばせていたら、その楽しさは、自分の熱い想いは、ちゃんと周りの人にも伝わるから。
ゆえに、自分の心を喜ばせることから始めてみよう。
本来は、周りの人なんて二の次なんやで。
いくら周りの人のために何かしようとしても、自分自身の心が喜んでいなければ、中々、伝わるものではない、何かができるものではない。
それが事実。
まず大切なのは、自分の心を喜ばせることなんやで。
また、優先順位の上におくのは、自分の心を喜ばせることなんやで。
それさえやっていれば、必ずといって、自分の道は拓いていき、なんとかなるから。
案外、そんなもの。
だから、今の行動は自分の心を喜ばせているのか、確かめることはものすごく大切なことなんやで。
これによって、自分が進む道を修正しながら歩むことができるから。
自分の心が喜ぶ道を歩んでいれば、その道は自分に合っているのであろう。
と、僕は感じている。
サコヤンの独り言
「今、自分の心は喜んでいますか」