能力の成長って、結構、眼を向けやすい。


なんたって、できなかったことができるようになるなど、変化が眼で見て分かりやすいから。


でも、心の成長はそうではない。


だって、眼に見えることができないから。


けど、本当は、能力の成長よりも、心の成長に意識を向けるべきなのではないか。


なんせ、どんなに能力を上げたところで、その力を使えるのは、心のレベルに応じたものだから。


力があっても心が弱ければ、その力を使い切ることはできずに、持て余してしまう。


だからこそ、心の成長に眼を向けるべきなのではないか。


見えないものに眼を向ける。


一見、おかしなことに感じる。


だが、眼で見えないことにこそ、本当に大切なものがあるのではないか。


なんだかそんな気がする。


日々、生きていたら、様々なことを経験し、能力が上がると共に、心も成長している。


でも、心の成長には自分では気づきにくい。


だって、眼で見ることはできないから。


ただ、間違いなく心も成長しているんよね。


けど、以前の成長していない心の感覚で過ごしてしまう。


なんせ、そのイメージが、自分の中で固まっているから。


そういえば、心の成長というのは、小さいところに細かいところに些細なところに現れている気がする。


例えば、今まで気づくことがなかった人の気遣いに気づき、喜び、感動するなど・・・


今まで見落としていたものに気づき、喜び、感動するといったことに、心の成長がうかがえるのではないか。


現に、一流であればあるほど、些細なことまで心配りができているから。


心の器量というものは、何も大きいことをするから素晴らしいのではない。


むしろ、誰もが見落とすような、些細なことにこそ、心のレベルが現れるのではないか。


当たり前のことを当たり前にこなすことは、一見、簡単そうに見えるが、中々これが難しかったりする。


何か特別な力がある人よりも、当たり前のことを当たり前にする人の方が感じ良く映ることはまぎれもない事実であろう。


ただ、能力が上がれば上がるほど、当たり前のことを疎かにしがちだから、注意が必要なんよね。


たとえ、能力を上げたところで、心が伴わなければ人がついてくることはない。


仮に、一時的にはついてきたとしても、時と共に離れていくであろう。


なんたって、人は、それほど愚かではないから。


人の善し悪しなんて、そう時間もかからず分かっちゃう。


なんといっても、最後には、心のレベルが高い人に人は集まる。


なんせ、その人の側が心地良く、かつ、学ぶことが多いから。


ゆえに、心の成長に眼を向けることって、普段、中々意識することはないが、ものすごく大事なことなんよね。


意識することがなければ、以前の自分の心のまま今を生きてしまうことだって、大いにありうる。


それが、自分にどれほどの弊害をもたらすか考えたことがあるだろうか。


月日が流れ、歳を重ねるごとに、様々な経験を積み、格段と能力は引き上がっている。


でも、自分の能力の成長に自分の心の成長がついていっていないのであれば、格段に上がっている能力を使い切ることなどできやしない。


なぜなら、今の自分の心に応じて、使える力が決まっているから。


これは、どんなに高い身体能力を持っていても、ガラスのハートであれば、その力を最大限に発揮できないスポーツ選手を見れば一目瞭然。


自分の力を出せる量というのは、自分の心が決めていると言っても過言ではない。


だからこそ、時折、心の成長に眼を向けることが大事なのであろう。


そして、その都度、心が成長していることを実感することが大切なのではないか。


眼で見ることができない心の成長。


でも、自分に与える影響は計り知れない。


ゆえに、疎かにしてはいけない。


それが、真実。


人は、誰もが、以前と比べて、確実に、心が成長している。


けど、それを認識している人は、案外、少ない。


これを知るか、知らないかでは、この先の自分の人生は、全く違ったものとなるであろう。


それほど、大切なものなんやで。


だから、心の成長は、普段から意識して過ごしなよ・・・



サコヤンの独り言

「心の成長を実感しよう」