自分の人生を生きることができるのは自分だけ。


他の人は、自分の人生を生きてはいけない。


だから、自分のことは、自分でやるしかない。


特に、自分を変える作業においては・・・


いくら素晴らしいことを人から言われたとしても、自分が納得し、腑に落ちなければ、言われた通りにすることはほとんどない。


もし、すぐに変化が出るのであれば、講演会に行った人は皆変化をすることができちゃう。


けど、そんなことはない。


実際、講演会に行って、実際に変化が起きている人というのは、全体のほんの数%の人たちだけやから。


多くの人は、会場では、やる気に満ち溢れているのだが、いざ、普段の生活に戻ると以前の自分になっている。


会場では熱い想いで溢れていたのが嘘のようにさえ感じる。


人に何かを言われたくらいでは、自分が変わりやしない。


尊敬、尊重している人に言われない限りは・・・


皆が皆そう変わることがない自分を持っている。


何年もの間積み重ねてきた自分を・・・


だが、自分を変えることができるのも事実なんよね。


現に、自分を変えることができている人はたくさんいるから。


ただ、自分を変えることに成功した人は、自分を変えようとする想いが並大抵のものではない。


「絶対に変わるんだ」


と、ものすごく強く想い、実際に動いてようやく自分を変えることができている。


なんたって、変わりたいと思ったところで、今までと違う行動は中々とることはできないから。


想いが弱ければ、どうしても、今までと同じようなことをしてしまう。


なんせ、人は、今までの習慣どおりに生きてしまうから。


今までの習慣を経ち切って、新たな習慣を培う。


口で言うのは簡単だが、実際はそうではない。


だって、何度も何度も、以前の習慣が顔を出すから。


その習慣が長ければ長いほど何度も何度も・・・


人って不思議なもので、変わりたいという想いを抱くと共に、変わりたくないという想いも同時に抱いている。


たとえ、今が、どんな状況であろうと・・・


今の状況が悪いから変わりたいと思っても、今の慣れている環境を変えたくないという作用が無意識の内にはたらく。


ゆえに、今のままでいようとする想いよりも強い想いで変わりたい、と思わなければ変わることはそうそうできないもの。


ちょっと変えたところで、続かないから、元に戻ってしまうから。


元に戻らないためには、なんといっても強い想いを持つこと。


だって、強い想いを持てば、今までと行動が変わり、今までと環境が変わるから。


だが、この強い想いが案外ネックになってしまう。


なんせ、適当に過ごしていたら、強い想いなんて抱くことができないから。


何がなんでもこれをやるんだ、何がなんでもこれを手に入れるんだ。


といった、自分がこだわるものがあってはじめて、強い想いを抱くことができる。


適当に生きる者にとって、何かにこだわることは、案外、難しい。


なんたって、こだわりがなく、どうあろうと構わないんやから。


自分に不都合なことさえ起きなければ・・・


自分のことを放ったらかしにし、周りに合わせて淡々と生きることが、かえって、自分を苦しめる。


なぜなら、自分がやるんだ、という想いを育むことなく大きくなってしまうから。


多くのことを周りに任せてきたからこそ、周りがいないと、自分一人では何もできなくなってしまう。


何かに頼り、何かに甘え、何かに依存することが過剰になれば、自分を厳しくすることが、案外、できなかったりする。


だって、自分を厳しくしなくとも、なんとかなっているから。


甘えること、頼ること、ものすごく大切。


けど、過剰になると自分をダメにする、自分でやることを忘れてしまう。


それが、自分にどんな弊害をもたらすかも知らずに・・・


人に甘えると、頼ると、自分は楽ができる。


その場ではなんか儲けた気分になるが、長い眼で見ると、そうでもない。


だって、楽を覚えると、その環境から抜け出しにくくなるから。


いつまでも、ぬるま湯に浸かることにもなりうる。


ぬるま湯って、温かくて心地良いから、自分では、中々、出ようとはしない。


これが、ものすごく危険なことなんよね・・・


ぬるま湯に浸かっている現段階において、ここから出る意志、想い、意識といったものを強く持って、実際にぬるま湯から出る。


それが、今の自分を変えることにおいて、ものすごく重要なこと。


今のまま、ぬるま湯に浸かっていていいのか。


一度、考えてみることは大切なことなのであろう・・・



サコヤンの独り言

「自分を変えるには、自分がやるしかない」