考え過ぎてもロクなことがないことは、自分でも分かっている。


そんなことは百も承知の上。


なのに、考えずにはいられない。


意識とは違う何かが反応し考えてしまう。


傷つきたくなくて、失敗したくなくて・・・


過去に大きく傷ついた人や、とんでもない失敗をした人ほど、色々なことを考える傾向にある。


特に、そういったものを、ちゃんと自分で解決していない人ほど・・・


先々のことをあれこれ考え、予測し、できる限り、傷つくことや失敗することを避けようとしちゃう。


だが、かえって、上手くいかないことが多い、やらないことが多い。


考えることは大切だが、考えすぎると、それが足枷となる事実。


だからといって、いつまでも足枷をはめている場合ではない。


いつまでも、考え過ぎている場合ではない。


だって、前に進むことが大事なことだから。


ゆえに、考え過ぎる自分に、真正面からトコトン向き合う必要があるのであろう。


そして、自分の足枷となっているものを外す必要があるのであろう。


自分の道を自分の足で歩むために・・・


考え過ぎるようになった原因は、必ず、今まで歩んできた中のどこかにある。


それが何なのか。


今まで、考えたことも、意識したこともない。


だって、自分にとっては、考え過ぎることが当たり前になっていたから。


長い間、そうして生きてきたから。


だが、これは、今までの自分の当たり前であって、決して、すべてではない。


なんせ、現に、考え過ぎずに生きている人はゴマンといるんやから。


今の自分にとっては必要のない習慣であることはまちがいない。


おそらく、自分が考え過ぎる習慣を身に着けた原因を断定することは難しいであろう。


なんたって、何が原因になっているかなんて自分でも分からないから。


ゆっくり少しずつ、自分に定着させたのは、他の誰でもなく自分自身。


ただ、断定できる原因がないからこそ、かえって、ややこしい。


仮に、原因が断定できれば、即座にそれを直したらエェ。


原因を挙げるとしたら、今までの自分自身の生き方にある。


何かで大きく傷ついたとはいえ、できる限り考えることを良しとし、考え過ぎることを良しとしたのは自分だから。


でも、自分の人生を振り返ってみて、考え過ぎて得したことってほとんどないんよね。


残念ながら・・・


なんせ、考え過ぎる時って、大概がマイナスなことだから。


それでも、考え過ぎることが正しいと信じて疑わなかった自分。


面白いよね。


マイナスになることを、自ら受け入れていたんやから。


今自分にある考えや習慣が、必ずしもプラスになるとは限らない。


むしろ、マイナスになることだってある。


だからこそ、時には、自分を疑う眼を持つことが大事なのであろう。


第三者の視点から自分を見るようなことが・・・


だって、今自分が信じていることが、考えていることが、必ずしも正しいとは限らないから。


むしろ、間違っていることがたくさんあるのではないか。


なんたって、自分は完璧な存在ではないから。


そもそも、考え過ぎることって、ほとんど意味がない。


なぜなら、実際に、考え過ぎた通りになることってほぼないから。


起こるであろう範囲を超えてイメージしている自分がいる。


不安や焦り、心配といったものが、余計にイメージを膨らませている。


冷静になって、現実に沿って考えてみると、案外、どうってことがない。


なのに、不安や焦り、心配といったものに、意識を奪われ、冷静に物事を見ることができず、判断することができなくなっている。


いつしか、余計なものを通して、現実の世界を見ている自分。


それが、どれほど危険なこととも知らずに生きている自分。


なんたって、本来ある世界を、ゆがめて見ているんやから。


世界をゆがめて見た場合、細々したものまでもゆがんで見えてしまう。


そんな状態では、何が正しいかさえ分からない。


だからこそ、思い込みや勘違い、習慣といったものを通さずに、あるがままの世界を見る意識を高めることがすごく大切なのであろう。


そのためにも、自分にはどんな勘違いや思い込み、習慣があるのか。


一つずつ気づいていく必要がある。


だって、気づかなければ、外すことなんてできっこないから。


考え過ぎることを良しとして世界を見ると、おそらく、さほど、挑戦しない人生を歩むであろう。


なんせ、考え過ぎる場合、出る答えは、やらない理由やできない理由、といったマイナスなことが多いから。


マイナスなことばかり考えて、プラスなことが起こることってほとんどない。


それが現実。


ゆえに、考え過ぎてもロクなことが起こらない上に、ほぼ意味がないことに気づく必要があるんやで。


よって、考え過ぎることなく、自分が好きなようにやればエェ。


それが、自分にとって最も良い手段じゃから。


決して、考え過ぎることが当たり前ではなく、すべではなない。


このことを認識して、今後を生きよ。


きっと、自分の環境が大きく変わるはずだから・・・



サコヤンの独り言

「考え過ぎる習慣であっても外すことができる」