思考癖。


失敗したくない、傷つきたくない。


と、考える癖が自分にはある。


普段はナリを潜めているが、何かをやろうとする時、ヒョッコリ顔を現す。


なぜ、こんな癖を身に着けたのかは定かではない。


おそらく、小さい時に失敗した経験、傷ついた経験が尾を引いているのじゃろう。


しかも、そのことに気づかないまま歳を重ねていたので、今になっても、改善されることなく残っていたのじゃろう。


癖を改善する時って、その癖の存在に自ら気づかなきゃ、改善ってできないんよなぁ・・・


ただ、一度気づけば、自分の意識次第でいくらでも改善できる。


誰もが身に着けている自分だけの考える癖。


自分にはどんな癖があるのか。


きちんと分かっている人というのは、意外と少ないんちゃうかなぁ・・・


だって、あまり意識することってないから。


そりゃそうと、何をもって失敗というのか、どうなると傷つくことになるのか。


失敗したくない、傷つきたくない。


という言葉はよく使うけど、何のことを指しているのか定かではない。


なんせ、人によって失敗や傷つくことの概念の意味は異なるから。


意味も分からないまま、恐れているなんて、なんだかアホらしい。


だって、なんとなくで恐がっているんやから。


そもそも、何をもって失敗というのか?


何かをやった時に上手くいかないこと。


こういった意味でよく使われる。


でも、はたして、これは失敗といえるのか。


だって、やったことがないことって、最初は大概、上手くはいかないから。


むしろ、上手くいかなくて当然。


上手くいかなければ即失敗ということになれば、世の中には失敗が溢れている。


そして、失敗に苦しんでいる人がたくさんいることになる。


でも、そういう人って案外少ない。


じゃから、単に上手くいかないことが失敗ということにはならないんじゃないか。


自分にとって失敗というのは次のように思う。


「何か上手くいかなかった時、自分が納得できないまま、そのことを諦めてしまうこと」と考えると、何かをする時に失敗を恐れる必要はない。


だって、自分が諦めなければ失敗にはならないんやから。


また、何度上手くいかなくとも、上手くいくまでやれば、失敗にはならないんやから。


中途半端な状態で止めちゃうから失敗になっちゃうんよなぁ・・・


だとしたら、失敗というのは、結果の是非ではなく、自分自身のあり方によって決まってくる。


要は、自分次第なんやね。


また、どうなると傷つくことになるのか?


自分にとって嫌なことが起こった時に「傷つく」、という表現をよく使う。


ただ、嫌なことと言われても、あまりにも抽象的すぎる。


だって、各々の主観的判断によってまったく異なるものやから。


自分が嫌なことでも、他の人はそうでもなかったりするんよなぁ・・・


よくよく考えてみると、すっごく面白い。


「あれっ!」


そもそも、自分が嫌と感じるということは、その出来事を自分が主観的に嫌と判断しているからこそ、嫌と感じているんよね。


だとすると、嫌なことを選択しているのは自分であって、傷つくことを選択しているのも自分ということになる。


なんだか自分にガッカリやわ。


なんせ、傷つきたくないという想いは、物事を傷つくことを前提とした視点から見ている自分に大きな原因があったんやから。


仮に、何かが起ころうとも、それ自体には何ら意味がない。


だって、その出来事に意味をのせているのは自分やから。


自分が言葉をどのように捉えているのか、自分がどんな視点から物事を見ているのかによって、意味は大きく変わってくる。


この意味の違いによって、この先の人生も大きく変わってくるのではないか。


なんだかそんな気がする。


そりゃそうと、自分にはどんな思考癖があるのか。


一度、考えてみるのもいいのかもしれない。


もし、気づくことができたら、大きく前進することができるから・・・



サコヤンの独り言

「自分の思考癖に気づこう」