本音と建前。


人は、本音と建前を使い分ける。


人によって、場所によって、場面によって。


何気なく使っている本音と建前。


この両方あるからこそ、様々なことがスムーズに流れていく。


仮に、どちらか片方だけしかないなら、ギスギスして仕方がない。


おそらく、本音と建前は人間関係の潤滑油的な役割を果たしているじゃろう。


そういやぁ、生きている中で、一日の中で、自分が本音と建前のどちらを多く使っているのか。


ほとんど考えたことがない。


ただ、その比率によって、人生って全然違うものになるんちゃうかなぁ・・・


特に、人間関係においては・・・


本音を使う比率が高ければ高い人ほど、人間関係は広く深く結びついているんちゃうかなぁ・・・


しかも、年々、その輪は進化・拡大しているように思える。


なんたって、本音で生きている人というのは、周りが放っておかない。


本音の想いが伝われば伝わるほど、その人のために何かをしたくなる、その人を応援したくなる、その人と一緒にいたくなる。


だって、すっごく楽しいから。


人は、自然と、楽しいことを求めるもの。


じゃから、本音で生きる人の周りには、自然と人が集まり、楽しいことが頻繁に起こる。


当の本人が意図しなくとも・・・


面白いよね。


人の魅力によって、人が引き寄せられるんやから。


こう考えると、人は誰でも、多くの人を引き寄せることができる。


自分の魅力を上げ続けることで・・・


んで、本音とは裏腹に、建前を多く使っている人ほど、人間関係は、衰退・縮小しているように思える。


時が経つにつれ、人間関係が途絶え、しかも、時が経っても新たな人間関係が構築されない。


そんなことが起こるんちゃうかなぁ・・・


だって、建前が多い人とは、一緒にいたい。


とは、ほとんど思うことがないから。


また、建前だと感じれば感じるほど、その人から離れたくなっちゃうしね。


ただ、人が生きていく上で、人間関係は切っても切れないもの。


家庭であれ、職場であれ、学校であれ。


ほとんどの場合で、人間関係が伴う。


なんたって、人は一人では生きていけないから、人は人との間でしか生きることができないから。


だったら、少しでも多く、本音を使って生きた方がいいのではないか。


よりよい人間関係を構築するためにも。


とはいえ、本音を言えない場面というのは多々ある。


もちろん、そういう場面では無理して言わなくていい。


でも、どこかで本音を使っていないと、どうしても建前の方が多くなってしまう。


そうなると・・・


残念ながら、建前を使う場面が多い今の世の中。


本音で生きにくい今の世の中。


でも・・・


自分はやっぱり本音がいい。


自分も周りもすべてが・・・


たとえ、厳しく感じることがあっても・・・


その方がスッキリしているしね。


自分と周りの関係が本音でぶつかり合うようになるためにも、まずは自分が本音で生きることが大切じゃよね。


仮にこれができたら、それに応じて、周りにも本音で生きる人が集まってくるじゃろうし。


どんな時でも、人のことよりも自分のこと。


人がどうであろうと自分には関係ない。


自分は、自分にとって良いことをするだけ。


それが、めぐりめぐって人のためにもなるんやから。


自分が基点で動く。


そんなことを日頃から意識していたら案外上手くいくもんなんちゃうかなぁ・・・



サコヤンの独り言

「本音万歳」