どう想い、どんな行動をするのか
何かの出来事の後、自分が、どう想い、どんな行動をするのか。
すっごく大切なこと。
一つ間違えれば、とんでもないことになってしまう。
その出来事の、インパクトが強ければ強いほどに・・・
自分は、なぜ、傷つくことに敏感に反応し、傷つくことを極度に恐れるのか。
今までは、転校したことが直接な原因だと思っていた。
でも・・・
実際は、違っていたみたい。
確かに、転校したことに傷つき、転校をする前とした後では、ガラリと性格が変わってしまっている。
当時では、その原因を転校のセイにしてしまっても、いささか仕方がない。
けど・・・
そうすることで、自分に大きな傷を残すことになるとは、夢にも思わなかった。
転校、それは、子供にとって大きな事件。
なんたって、環境が大きく変わってしまうから。
ただ、誰しもが、転校で傷つくとは限らない。
自分を知っている人が一人もいないからこそ、自分を変えようと懸命になる人がいる。
そして、見事に自分の変化に成功する人はたくさんいるのは明らかなこと。
転校に限らず、入学、入社といった環境の変化は、ある意味チャンスでもある。
じゃが、自分は、チャンスにつなげることができなかった。
むしろ、反対に、傷つく道を選んでしまった。
なんせ、その方が楽だったから。
意識して、自分を変えようとするよりも格段に・・・
だって、自分を抑えて、自分を出さなければよかったんやから。
極端に言えば、おとなしくしてさえいればよかった。
なのに・・・
転校という出来事には、嫌なイメージを持ちやすい。
でも、本来、転校という出来事には、善も悪もない。
単なる一つの出来事に過ぎない。
そこに、自分の主観を入れちゃうから、その後の行動が善にも悪にもなってしまう。
要は、自分が想い、自分が選択し、自分が判断している。
結局、自分は、転校という出来事に悪のイメージを抱き、その後の道を自分で悪としてしまった。
その結果、傷つく道を歩むという行動を選択することに・・・
自分を被害者のように扱うことで、可愛そうな自分と思うことで、傷ついてしまった自分を演じることで・・・
自分は、転校をしたから大きく傷ついたのではなく、自ら傷つく道を選択したからこそ大きく傷つくことになった。
傷つくことになった直接的な原因は、転校ではなく、自らの選択に、自らの行動にあったんよなぁ・・・
でも、その頃は、大きく傷ついたことを何かのセイにしたかった、自分に原因があるとは考えられなかった、楽な方に進みたかった。
よくよく考えてみると、自分の主観って恐い面もあるよね。
なんたって、良い出来事であろうとなかろうと、自分にとって都合の良いように解釈してしまう面があるから。
また、正しかろうと正しくなかろうと、自分を正当化するように解釈してしまう面があるから。
そりゃそうと、誰しもが傷つく出来事というのは、この世には一つもないのかもしれない。
傷つくのは、当の本人自らが傷つく道を選択しているからであって・・・
と考えてみると、何かをする時、傷つくことを恐れる必要が全くなくなるよね。
だって、自分が傷つく行動を選択しなければ、何をしようとも傷つくことはないんやから。
なんだか、ホッとした。
長い間、抱えていた重い荷物を下ろせたような気がしで・・・
転校したのが、小学3年が終わった時じゃから、20年近くかかっちゃったけど・・・
生きている限り、誰もに、多くの出来事が待ち構えている。
何かの出来事に出逢った時、どう想い、どんな行動をするのかによって、その先の人生が大きく変わってしまう。
じゃから、極力、どんな出来事も善、もしくは、ニュートラルな状態で出逢うことを心がけることにしよう。
以前のことを良い教訓としてね。
善くも悪くもすべて、自分が想い、自分が選択し、自分が判断している。
このことは、すっごく大切なことじゃから、肝に命じることにしなきゃね・・・
サコヤンの独り言
「どんな出来事も、本来、善いも悪いもない」