命を感じる大切さ。


当たり前のように生き、当たり前のようにある命。


決して、当たり前ではないのに、当たり前のように感じてしまう怖さ。


人は、一度、当たり前と感じてしまうと、それが自分にとって最低の基準となり、その基準を超えることを求めがち。


もっともっとと求めれば求めるほどキリがない。


本当は、現時点で素晴らしいものを備えているのに、そのことに気づこうとしない。


いや、気づく意識すら持たない、と言った方がいいのかな・・・


僕の好きな言葉に「幸せは数えたら増える」という言葉がある。


まさに、そうじゃよね。


当たり前であるかのように健康でいること、今の日常が普通であるかのように毎日を過ごすこと、そういった些細な一つひとつに幸せが備わっている。


強く、そう思う。


なのに・・・


そういった幸せは、失ってはじめて気づくことが多い。


体調を崩して健康の大切さを知るように・・・


どうせなら、失う前に、一つひとつから幸せを感じたいもんやね。


それさえ意識していたら、案外、日々を楽しく過ごせるから。


命を感じること、大人になるごとに、あまり感じることがなかった。


第一産業をするわけでもなく、ガーデニングをするわけでもなく、自然と関わるということをしなくなっていると命を感じる機会が少ない。


小さい時には、せみやバッタなどの虫取りをしていたのに…


そして、取った虫を虫かごに入れていたら、いつの間にかアリが群がっていて、驚いたことがあったのに。


他の生き物に触れること、生き物の最後を見ること、そんなことで命を感じていた。


ただ、そういった経験って大人になるごとに、結構、少なくなっちゃうんよね。


妙に大人ぶっちゃって・・・


確かに、今は、自然と触れ合う機会が少ないかもしれない。


だからといって、命を感じることができない。


ということではないんよね。


なんたって、自分自身も一つの命なんやから。


そのことを、案外、忘れちゃう。


身近にありすぎて、当たり前すぎて。


普段、普通に生活をしていると、自分自身に命を感じることってそうない。


でも、一度、胸に手を置くと・・・


「ドクン、ドクン」と心臓の鼓動を感じる。


どういった理由で動いているのかはわからない。


けど、そこには命を感じることができるんよね。


本当、おもしろい。


そりゃそうと、普段、命を感じることが少ないからかは分からないけど、命を感じている時って、身体全体が喜んでいるんちゃうかなぁ・・・


だって、胸や手首に手を置いて、脈を感じている時って、なぜか、安心したりホッとしたりと、リラックスしちゃうから。


最近、こう感じるようになったんで、夜、眠る前には胸に手を置くようにしている。


色々なことを考えるのではなく、ただただ、命を感じることに。


不思議なことじゃけど、それをするようになったら、以前よりも、良い眠りがとれているような気がするんだな・・・


んで、毎日を何気なく過ごしていると、命を感じることってあまりない。


じゃからこそ、自然に触れることって大事。


たとえ、それが無理な場合でも、自分自身に意識を向けることなら誰にだってできる。


自分だって、たくさんある中の一つの命なんやから、時にはその小さな命を感じる。


これって、すっごく大切なことじゃよね。


ちゃんと、命を感じていますか?


様々なことに忙殺されて命を感じていないことはありませんか。


自分も一つの命、周りにいる人も一つの命。


人は皆、多くの命の中で生き、生かされている。


ものすごく当たり前なこと。


だが、当たり前すぎて、この重要性を見失ってしまう。


情報が氾濫し、時代の流れが早い今だからこそ、命を感じる心のゆとりが必要なんちゃうかなぁ・・・


それが、ストレスを軽減するなど、自分のためになっているんやから。


とにかく、自分も小さな小さな一つの命なんやで。


そのことを忘れずに・・・



サコヤンの独り言

「あなたも一つの命」